見出し画像

やる理由やらない理由

半分以上自分に言っているが、たぶん他人にも当てはまる。

それが「やればいい」だ。

こすられまくった言葉なのは百も承知だが、普遍かつ、唯一かつ、最強の法則と言える。

「分かってるけども、できたら苦労せん!」という話も分かる。

しかし就活生と話しても、僕自身の悩みに自問自答しても、自社の男たちと話しても「やればいい」で決着してしまうことが多いのだ。

僕ももちろん相談を突っぱねたりはしないが、話す終着点の狙いは「そっかーやればいいんだ!」と当人に心から思ってもらう、だ。そのために様々な方向から話していく。

悩んだり、議論したり、文句を言ったり、躊躇したり、できない理由を思いつくよりも「つべこべ言わずにやる」しか方法がなかったりする。

言い訳の最たるものは「やる気になれない」だろう。「モチベーションが湧かない」なんて言い方もある。しかしやる気がないと何もできないのだろうか。

朝起きたら、歯を磨いたり、食事をしたり、呼吸をすること、すべて「やる気があってしていること」だろうか。

「気持ちを大切にしたい」という訳の分からない言葉が綺麗に物事の本質を覆い隠してしまうことがある。

画像1

気持ちとは何だろう。気持ちを大切にするというのはどういう意味なのだろう。改めて考えると、まったくイメージできない。

自分に対しても「気持ちを大切にしたい」と意気込んだところで、大体が自分の気持ちなど分からない。

「あいつブチ殺したい」「会社辞めたい」「死にたい」とか思っていた翌日にパフェ食っているのが人間だ。

普通は分からないはずだ。他人に言われたら説明してもらいたいぐらいだ。

睡眠時間、アルコールの摂取量、運動の総量、諸々で脳内ホルモンの分泌量は変動し、幸福度は上下する。それが通常だ。

ボヤッとする。ムカつく。なんか調子いい。

今日も僕たちの心は秋の天気のようにコロコロ変わるし、「気持ち」なんて漠然とした霧のようなものではないだろうか。

そんなハッキリしない「気持ち」なんてものに対して、やる気があるのか?やる気が無いのか?などと白黒つけさせる方がおかしい。無理なのだ。

やっているうちにやる気なんてわいてくる。わいてこないならこないで別にいい。

元気MAXでもやりたくないときはあるし、風邪でもやりたいときはある。

どんどん変化して、白黒の濃度もグラデーションになっているのが「気持ち」だ。

そんなフラフラしたものに支配されていたら、僕たちはほとんど行動できなくなる。

「気持ちの通りに動き回る」なんて狂っているか、夢を見ているかのどちらかなのだ。

身動き取れないほどの重体でもないなら、やはり「やってみるといい」と自らに言い聞かすのが一番良い。驚くほどに大抵のことはやれる。

「やる気があるかないか」なんて議論よりも、毎日馬鹿の一つ覚えみたいに重たい腰を上げとけばいいのだ。ひとりぼっちの夜を奮い立たすのは自分自身しかいないんだ。



音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!