社会人の心というものはピッチャーの方みたいなものだ。耐久性は個人差があるが、消耗品であることは間違いない。
いろいろ落ち着いた。ワンマンだったりなんだりを行っていたが、落ち着いた。
そうは言ってもアルコール依存症である。病気のことを忘れると、病気が覆いかぶさってくる。病というのはそういう性格なのだ。
ちなみに通院の頻度を下げられるようになった。医者曰く「寛解」というらしい。「一時的になりを潜めている状態」だそうな。
つまり僕の病は「完治」という概念がない。逆に言えば、一時的には良くなるのだ。
このまんま「一時的」の中を走っていけばいいと思っている。一時的のプラレールを繋いで走行していけばするっと死ねるはずだ。
「不治の病」と書くと激しくヤバイ気がするが、まぁそんな大変なことではない。みんな体にせよ心にせよ、どこかしらを痛めているものだ。
大人、社会人の心というものはピッチャーの方みたいなものだ。耐久性は個人差があるが、消耗品であることは間違いない。
そのくせ「落ち着いた」という感覚がある。うまく言えないが一息ついたような体感だ。ワンマン2daysというのは潜在的にプレッシャーがあったのだろうか。
さて、心が保たれると視野が広がるらしく、昨夜はいろんなひとの顔が浮かんだ。
礼を言いたいひと、頭を下げたいひとが案外いる。でもやはり人生はいつもタイミングが悪い。正直、ようやくその体制が整った。落ち着いたのだ。
でも彼ら彼女らに会える術が無い。完全に途絶えてしまった関係ばかりだ。いつも何事も軒並み手遅れだ。間に合ったことがほとんどない。
今いるひとたちがいる。彼らもやはりみんな僕の前を過ぎていくのだろうか。生きていると別れと出会いは絶対付いてくる。ポテトのようにセットになっている。
だからこそ今年こそ早めに言っとこうと思う。
勇気を出して単純に、素朴に、一見馬鹿に見えようが「まっすぐ」なんで言葉の恥ずかしさに負けないように、礼を言っておこうと思う今日この頃である。寒さのせいだと思う。
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