「辞められない」が僕たちを不自由にしている

むかしから「白紙に戻せない」という状態があまり好きではない。むりに戻したいわけではない。壊したいわけでもないし、別れたいわけでもないし、切り捨てたいわけでもない。「戻せたい」のだ。

バンドに恋仲、婚姻、学校、部活、雇用、極道、親友、チーム。

いろんな関係や属し先がある。
関係の長さや口約束、書面の約束を結んだことによって「白紙に戻す」がやりづらくなる。一度出来上がった関係を元に戻すのは大変な作業だ。

でも簡単な日本語にしてしまえば「やめたいけどやめると気まずい」というやつに過ぎない。

これは相手がガッカリするかも、怒るかも、そんな他人の感情を引き受けてしまうことより起きてしまう現象である。

相手がどう思うかなんてコントロールできないのに僕たちはアレコレと考えてしまう。しかもそれを「優しさ」と履き違えてもしまう。

雑誌の人気連載マンガはなかなか終了できないと言うが、それも同じだろう。

僕はこの「白紙に戻せない」を好ましくないと常々思ってきた。

「いつでも白紙に戻せる。だけどあえて一緒にいる」方が健全だと思うのだ。「やめたいけどやめらんない」は結局、たいしたクオリティにならない。

もちろん継続が作るクオリティもあるのだが、「辞めた方がいいんじゃない?」と思うことの方が多い。

自分自身にも思う。よく思う。
「本当に白紙に戻せないのかね?」ということを。

イマあなたを縛っていることって、じつは簡単にやめられることなんじゃないだろうか。

SMAPもこち亀も終わってみたら終わってみたでうまくいっている。「絶対的にあると思っていたもの」が終了してもなんとかなる。

イチローさんの引退やコナンやワンピースの連載終了に比べたら、我々の退職や離婚、失踪による損失なんて微々たるものだ。

ずいぶん前に森山直太朗先生が「嫌ならいっそ死ねばいい。恋人や親は悲しむが3日も経てば元どおり」という歌を歌っていた。その通りだ。

「辞められない」が僕たちをどれだけ不自由にしているのだろうか。「嫌ならいっそ辞めちまえばいい。3日も経てば元どおり」の心意気は思い切りの良さを生むんじゃないだろうか。

少なくとも僕は「辞められないしな。やりたくないけどしかたねー」で歌を作りたくないし、ステージにも立っていたくない。そんな仕事もしたくない。

「いつでも辞めれる。だけどあえてやっている。何故ならやりたいからだ」が一番ピュアだと思う。

たった30分のライブのチケット代が、何万回だって再生できるCDと同額程度なのはそこにあるんじゃないだろうか。

やりたくないことをしている時間をいかに減らしていくかだ。もちろん「そんなに甘くない!」と言われることが多い。でもそれももう聞き飽きた。

ここまで生きてきて分かったのは、気が合う人間より合わない人間の方が多いということだ。白紙に戻しまくった結果、友達は一桁をキープしている。気が楽である。

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