路頭の迷い方

働き方が多用な時代である。いろんなひとが路頭に迷わずにすむ。

ていうか路頭に迷わなくなって久しい。

あなたは路頭に迷ったことがあるだろうか。生活の道を無くして、先行きの見通しも真っ暗になるアレだ。

仕事に従事するひとにとって最大の恐怖はつまりアレなのだ。

ムカつく上司との葛藤に耐えて出勤するのも、出世争いから外れてしまって「先が見え」ても、ただひたすらにタイムカードを押し続けるのも、ただただ路頭に迷いたくないからだ。

この恐怖を克服するためには、一度路頭に迷ってみるしかない。それがどのくらいの苦痛と不安とダメージを人の心に与えるのかを、はっきりと体験してみると良い。一度身を以て知れば、次の就職をしたときに自分の心の中でものさしが鮮明になる。

「あの状態はキツすぎるから会社勤めにすがりつこう!」となるかならぬかだ。

天びんの両皿の比重がわかっていないと、働くことの嫌さかげんも、納得して受け入れられない。

つまり路頭に迷ったことがないと、ただ漠然とした不安がのしかかってくるだけなのだ。フラれて独りになることも、バンドが解散することも、犯罪者になることも同様だ。

得体の知れない不安を天びんの片一方に乗せると、未知の恐怖というのは限りなく重いものになるのだ。
なおかつ現実の自分の日常に対する不満は、不満そのものとして蓄積されていくのである。

これはもう極めて不透明でヘビーな状態だ。「知らん」というのはわりと怖いことだ。逆に言えば知ってしまえばわりと怖くないことがわかる。

僕がいつだったかの仕事を辞めるときに先輩からこういう忠告を受けた。

「人間というのは仕事を辞めて最初の二ヵ月くらいは嬉しくて楽しいんだけど、三ヶ月目からはまた働きたくなってくるもんやぞ」と。

「なるほど。そういうものなのか」と思ったが、現実には十ヶ月近く路頭に迷い続けた。しかもそのあいだ「働きたい」などとは、まったく思わなかったのだ。

「三ヶ月すると働きたくなってくるもんやぞ」というのは先輩のケーススタディであって、彼がそういうタイプだったのだ。そして僕には当てはまらなかった。

「別の人間には当てはまらないことが多い」と学んだ一件になった。「路頭に迷う」に関しても、ひとによりそれぞれの耐久力、強度があるわけだ。

ただ、法則ではなく一般論として言えるのは、若くて健康なひとならば「路頭に迷う」というのは、それほど恐怖の対象ではないということだ。なぜなら克服しようとすれば、必ずできるからだ。

失業者というのも捨てたものではない。金銭面や条件面というのものをじつに客観的に見れる。

仕事というものは何を差し出して何を得るかだ。

「路頭に迷っている」という現状がさほど嫌でないのであれば、差し出せばいい。すると自由が手に入る。「ロックでマイノリティな自分」という幻想のオプション付きだ。

僕は今でもあの失業時代を思い出すときがある。

朝からちゃんと起きてビールを空けて、駅に行く。たくさんの働きに出る人々の群れをボーッと眺めるためだ。嫌なやつなのだろうか。

しかしその行為は昔の自分への供養だった。

キツイところで働き、「自分を苦しめていた自分」への復讐だった。そしてその復讐は兵糧尽きるまで一年近く続いていった。

もちろん僕は小さくて寂しい自分に気付いて、またどんどん死にたくなっていった。

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