見出し画像

生きててよかったVS死んどきゃよかった

低気圧のせいで自殺念慮が激しい。欲求強度としては深夜にラーメン食いたいなぁぐらいの程度だ。

ではこれが異常事態なのかと問われると、そんなことはない。

男子の大半は、十代で自分を凶暴なほど憎む時期がある。そしてそれ以上に世の中の『大人』を壊したいと思っている。ここでいう『大人』とは成人などの意味合いではなく、いわゆる「なすすべのなさ」における抽象概念だ。

そんな『大人』の腐臭に対する激情は自傷欲求に変わる。思春期に達した自分からも、かすかにその香りが漂っていると気付くからだ。青少年である自分が、成熟する前に、清潔なうちに自らを地面に叩きつけて粉砕すれば、純粋な己を貫ける。

これらの気持ちに多少の整理を付けた少年たちが成人まで生き残る。だけど時折り、何かのタイミングで気持ちがぶり返す。

僕は酒を飲むと昔から泥酔してぶっ倒れるまで飲んでしまうのだが、あれは小さな自殺体験であり、予行演習だからなのだと思う。飛び降りが大リーグなら、酔い潰れるというのはリトルリーグなのだ。

アルコールや薬は痛くもないし、気持ちいいし、怖くもない。なかなか死ねない臆病者にとって酩酊したりラリったりするのは、ほどよいやり方と言える。「ビビって死ねないや、酔っ払うぐらいにしておいてやるか」という話だ。

だけどこのビビりは「生きたい」という気持ちの表れでもある。線香花火ぐらいの火力になった生存本能が、死への欲求に勝利しているのだ。

ずいぶん前にマンションから飛び降りそうになったことがあるが、あれは本当に死ぬかと思った。助けが来なかったら死んでいたと思う。

ちなみに名著『完全自殺マニュアル』によると、飛び降りは首吊りとツートップのオススメの死に方らしい。とにかく苦痛が少ないとのことだ。

自宅に首吊りセットを設置していたが、「飛び降りる」という行為の方がカタルシスが勝ると薄々は感じていた。なんだか「高いところから自分をぶっ潰す」というアクションには華々しい風情が漂っている

しかし「HEY、飛び降りれるかい?」と問われると答えられない。事実首吊りで逝った友人はいるが、飛び降りた知り合いはいない。

やはり飛び降りはハードルが高いかもしれない(高所だけに)
高所恐怖が生存本能を呼び覚ますおかげで、飛び降りにおけるいわゆる「ためらい」が生まれる。そこから助かった命が屋上にいくつもあったのだろう。

そんな「屋上でのためらい」に想像はつくが、何となく絞首は想像つかない。

よいしょよいしょとロープをくくりつけ、踏み台を用意し、準備万端の果てに「やっぱやめとこ」と引き返すのは、そこまで頑張った甲斐がないというか、もったいない気がする。

古今東西、自殺方法における文化は語り継がれているが、やはりチャンピオンは『焼死』と『切腹』で確定だ。この二つはとにかくメッセージ性が強い。その代償に苦痛、激痛は他の比ではないそうだ。

つまり何かしら世の中に伝えたいこと、訴えたいそとがある猛者が選ぶ手法なのだ。僕も年下が腹を切りながら、何かを言われたら「まぁ死んでまで言いたいことがあるなら、聞いてやるかね…」という気にはなる。

もちろん令和の世にここまでやる勇者はいないだろう。
むしろ「世の中のことなどどうでもいい。嫌いではあるが、別にいい」といったひとが死を選ぶように思う。
生き残る方法もあるのだろうけれど、そもそもそこまで生き残りたくないから死を選択しているやつらだ。

今日も今日とて日本ではぽんぽん人間が自殺している。人種的なものなのかは分からないし、不幸なことなのかも知らない。もう興味もない。今死のうが、後で死のうが人生の哲学的意味なんてものは、大きく変わらないからだ。

僕だって自殺念慮に呑まれる日は自殺ばかり考えてしまう。だけどこれは悪いことばかりでもないのだ。本当に命を絶った知人を思い出す時間が設けられるからだ。

イベントで知り合ったYくんは十九歳で首を吊って死んだ。大阪のストリートライブで出会ったAさんは十六歳だった。二人とも首吊りだ。

やつらもよいしょよいしょと準備していたのだろうか。思えばいつも馬鹿な話ばかりしている愉快なやつらだった。あの連中が一生懸命ロープを用意していたと考えると、なかなかほほえましい。

そんな懐かしさに心が優しくもなる。「懐かしさ」という言葉の響きには、それだけで目を細めてしまう眩しさがある。

寂しい悲しいという気になるにはなれない。時間が経ちすぎた。郷愁より「まったくずるいなぁ」という軽い苛立ちがやってくる。これは彼らの人生における完成度に対する嫉妬だ。

こちとらは憎悪の対象である『大人』になってしまい、彼らは十代のまま、純粋な怒りを具現化した。許せないことを許せないまま、まっとうして自らの命を燃やし尽くした。

僕たちはこの世界でブスブス不完全燃焼の日々が死ぬまで続いていく。生き残りは腐り、旅立った人々は美しく保存される。羨ましいし、勇敢さに頭が上がらない。
でもだな、Yよ、Aよ。たまにだけどやな、ほんのごく稀にだけど、生きててよかったという日が、たしかにあるのも事実やぞ、と。たぶん次のその日を目指してやっていくのが、生きてる俺たち人間の営みだ。




音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!