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生きて焼き肉か、死んでラーメンか

「ひとの性質は選択の集合体」という言葉がある。

誰とつるむか、何を食べるか、どこで働き、何を願うか。

小さなことから大きなことまで、選んで選んで選び続けている。その選択の集合体があなたであるし、人格、パーソナリティそのものだと思う。

もちろん我慢せねばならない場面もあるし、調子をまわりに合わせないとスベるときもある。

でも一人のとき何を選ぶかは、けっこう自由だったりする。

「一人のとき何を食べるか」
「一人のとき何を読むか」
「一人のときドコに行くか」

一人の日、「自分がどうしたいか」にフォーカスして選んでみる。すると「自分っぽさ」みたいなものが浮き彫りになってくる。

繰り返しているうちに「望んでいること」が明確になり、自分の時間を過ごすのが楽しくなってくる。

反対に他者と過ごしてばかりいると、選択に対して鈍感になる。
たとえば、みんなで焼き肉パーティーに出かける約束し、集まったのに「俺はラーメンが食いたいんだ」と言い出したら、「こいつは気が狂ったのか」と思われるだろう。「一人で行けよ」としか言えなくなる。

かと言って毎日焼き肉パーティーをしていたら、「ラーメンフリーク」という自分の特性が濁ってしまう。いつの間にか何が好きなのか分からなくなっていくかもしれない。

「生きてとどまるか、死んで失くなるか、それが問題だ」とハムレットのように極端に考える必要は無い。「生きて焼き肉か、死んでラーメンか」なんて言わなくていい。みんなといるときは、焼き肉食って、一人でラーメン食いに行ってりゃいいのだ。

だけど焼き肉ばかりのひとが多いようにも思う。つながりを大切にしすぎて、自分を見失っているのだ。

誰かと遊ぶのは楽しいけれど、一人で遊ぶのが上手なひとのほうが話すと面白い。ラーメンの話を焼肉屋で聞きたい。

なんでラーメンが好きなのか、なんで一人だとそれを選んだのか、何を捨てて、どこにたどり着くつもりなのか。
みんなの聞きたい話は一人の中にあるらしい。



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