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「やらないでできるようになる」は弾薬を準備しないで戦地に赴くに近い

ほとんどのことが「やるかやらないか」なんだけど思慮深い人もいる。ちゃんと考えてからじゃないと動けないタイプもいる。もちろん不利。大抵がただ行動を先延ばしにしているだけにすぎないから。

というツイートをして、自戒を込めて言うのだけど、本当にそうだなと感じる。

「おい!やるかやらないかだろうが!」などと実際にハイスペの人間に説教されても「はぁ……」と気の抜けた返事をしたくなるだけなのだが、実際正解だ。行動こそ万能に物事を好転させる劇薬だ。

「人生うまくいっているひと」はみんな行動力がある。いや、「うまくいっている」とかはなんとも漠然としていて好きではない。ほら、生きるってグラデーションでしかないから、「勉強はてんでダメだけど、体育は得意じゃ!」というひとはザラにいるではないか。

大人になれば「話面白くないけど金はある」とか「すごいモテるけど借金王」とか「家庭は円満だけど反社」とか「野球はうまいけど人格破綻者」とかだろうか。文武両道というのは本当に難しい。

もっとミクロで考えたいところだ。
「うまくいっていること」や「うまくいったこと」を思い出してもらいたい。おそらくその成功体験は「やるかやらないか」で考えると「やって」いると思う。

「勉強はてんでダメだけど、体育は得意!」ならば、やはり勉強はやってないからだし、体育はそれをやっているから得意と感じるのだ。先天的な運動神経という意味ではなく、人前でやったからこそ「得意」になっている。

どんなに天才でもやらなければ「うまくいった」という領域まではいかない。

「ギターが弾ける」か「ギターは二日で挫折した」というのも一定時間、家で弾き続けたかどうかに過ぎない。そんなもんだったりする。

もちろんどれぐらいの量が必要かは個人差があるし、一週間で弾けるひともいれば三日でコツを掴むひともいる。これは後者のほうが向いているかというのは分からない。「一週間続けるひとVS二日でやめちゃうひと」というしくみになる可能性が大いにあるからだ。

その局面に立たされたとき、「やるかやらないか」というのは「できるかできないか」というよりは「やる」という選択をするか「やらない」という選択をするかに近い。

どれほどそのコンテンツを優先しなくてはいけないのか、しないとどうなるのか、するとどういう恩恵があるのか、すると何を失うのかなども含まれる。そんなにできるようになりたくないならば必要ない。

人間を「やるタイプ」とか「やらないタイプ」なんてザックリ分けることはできない。ただ「やる破壊力」というのをしっかり理解しているかどうかはいろいろなクオリティに関わってはくる。

僕は「やれないならやらない。それほどできるようになりたくないから」という日本語を自分の中に持つようにしている。

こうしていると何でもかんでも「やる」とはならないからだ。そして「やらないでできるようになる」という選択肢を自ら排除できる。「やらないでできるようになる」は弾薬を準備しないで戦地におもむくような愚行だ。ほぼ勝ち目がない。

「自分、やれそう」と思ったことはだいたいやるし、やればやるほど大体のことは成果が紐づいてくる。やり方や報われる仕組みというのはあるけれど、「やったのにまったく意味なかったです!」なんて悲劇は人生を振り返ってもあまり覚えがない。

「思ったよりコスパ悪い」はあったけれど、二十代の頃はかけるコストなんて己の命ぐらいだ。何者でもないのだから安いものである。

音楽も執筆も経営もコスパはよろしくはないが、「やったのにまったく意味なかったです!」とはほど遠いほどいろんなものを受け取らせてくれた。

本日は藤沢で映画「さよなら、バンドアパート」のロングラン記念トークショー&劇中歌ライブ。QOOLANDの曲を久しぶりに人前で。

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