死の待合室で待っていた結果

アル中の病院に行っている。ここでは「生きるか死ぬか」という極限のテーマが日々繰り広げられている。「今日の夕飯」ぐらいの頻度で繰り返される。

医師に「生きるためには生まれ続けないといけない」という言葉をもらった。これは断酒において必要な概念らしい。

治療テクニックとしては『一日断酒』というのだが、要は「今日は飲まない」を繰り返して頑張っていくやり方だ。

「一生飲まない」とか「二度と飲まない」といった大きなスパンは失敗を生みやすい。だから朝起きるたびに新たな初めての断酒が始める。「今日は飲まない」を、それを紡いでいく。

どうしても飲みたくなったら「よし飲もう、飲むぞ。でもあしたから飲もう」にするのだ。
これは効果抜群で、飲酒における欲求には波があるので、一度時間を置くと切り抜けられることが多い。つまりアル中は一日ごとに「生まれ続けないとならない」

これは健常者においても同じだと思っている。

組織や個人の仕事においても似たところがある。組織は新しい風がないと滅びるし、個人の仕事も新しいことを覚えたら一生安泰といった内容はほぼ無い。

新しさを取り入れることは、「生まれ続けること」は若いときには当たり前だった。それを取り入れないと大人の仲間に入れてもらえない。仕事をさせてもらえない。つまり、生きていけないからだ。

しかし人間は馬鹿なので、仕事を覚えてしまうと「もう安心!」とばかりに油断をする。「これを続けてさえいれば大丈夫」と思い込む。デンジャーな状態だと気づかない。

運良くそれで定年まで勤め上げたとしても、その後は何一つできない老人になっていたりする。 「もうこの歳になったら、新しいものは分からないし」と諦めてしまうのだ。

関心は子どもや孫にしかなく、社会とのつながりは徐々に目減りしていく。あとは旅行に行き、ほのぼのするぐらいだ。まるで死の待合室で大人しく座っているような状態と言える。

別に老人だけではない。若者の中にも同じ傾向が見られるひともいる。「どうせ自分には無理だから、時間がないから、面倒だし、あまり興味が湧かないし」と新しさを拒絶する。

カロリーを使いたがらない。エコなのだ。「生きる」ためには少なからず「障害」がある。しかしそれらに抵抗し続けることが「生きる」とか「生き続ける」という意味だ。死ぬのが一番のエコなのは言うまでもない。

少々大変だが、生まれ続けないとならない。


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