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勉強かスポーツができる男子は問題ない。広告代理店にでも就職してBMWに乗り、BBQの写真をFacebookにあげて面白くない話にゲラゲラ笑っていても

男が揃うとモテるモテないモテたいの話になる。どうすればいいのか、あいつはどうしているのか、はたまた俺たちはどうしようもないのか。

これらで盛り上がるのは構わないが、とにかく問題なのは「モテ」の定義が定かではないことだ。討論が討論として成り立たない。モテが何を指しているのか、いつも靄がかかっている。「女の子に」なのか「男社会の中で上位に位置したい」なのかも曖昧だったりする。

答えが分からないまま、本当にモテたかった十代は終了して、さして気にならなくなってから、ごくたまにだが「あれ?俺はもしかしたらモテているのでは」と感じるときがある。
「十代のときの花が咲く」とかそんな話ではまったくないが、花の解像度が上がる。

そもそも十代の男子は、モテるモテない以前に基本的に女子に軽蔑されている。とにかく馬鹿だからだ。成長速度の差もあり、女子目線からすると男子は余計に幼稚に見えるのではないだろうか。

そうなると蔑視されるのは当然なのだが、成人を過ぎて、なおかつ二十代を超えてくると、あの女性の目から放たれる攻撃的視線を食らう頻度が減る。ようやく軽蔑されにくくなっているのだ。

元々が軽蔑され過ぎたせいかもしれない。それか「モテ」の価値が僕の中でむかしより減ってきて、それに対する感受性が鈍くなっただけの話かも知れない。十代のときに未知だった女のひとの素晴らしさを知ってしまったことによる、知的探究心低下の可能性もある。

もっと最悪の場合を考えると、モテるモテないの物差しから外されているパターンだ。犬や猫をかわいがるように、ほとんど死んでいる者としてカウントされ、ただ優しくしてもらっているだけという可能性もある。

それでも女の子と話していて言葉が途切れ、その沈黙に微かな甘味があったりするときがある。
こんなものは十代のときはなかった。ここで気持ち悪いぐらい頑張れば「なんとかなる」のかもしれない、そう思ったりすることもある。

つまり「絶対に無理で完璧に嫌われていて、望みもない」といった暗闇じゃないのだ。「もしかしたら、どこかに明るい抜け道がなくもない、期待だけはほのかにあるのかも」というシチュエーションだ。もちろんそんな淡いものを右手に掲げて「俺モテてる」なんて言うつもりもない。

男仲間から「おい、お前モテるよな」などと数年に一度言われる。年下からは「モテますよねぇ」などと探られるようなお世辞も数年に一度もらう。こんな透けるような淡さを左手に掲げて「モテ」を持ち込むつもりもない。

しかし、何だろう。やはり「十代のモテ」という失われた巨大なスキマに差し込むには、これらの話は充分すぎる大きさなのだ。こんなもんでいいのだ。

それに未だに女のひとと口を聞くのは苦手だ。情けない話だが、スラスラスラーっと喋れない。

一時期ヒモのような暮らしをしていた時期があるが、四六時中ラリっぱなしの酔っ払いっぱなしだったので、ほとんどの夜を覚えていない。思い出してもロクなことがないから、海馬がそこの回路をブッ壊したのかもしれない。

反対に覚えていることはやけに覚えている。忘れられない夜はリアルにタトゥーみたいに刻まれている。

想っている女性をミューズだとか女神だとか言う男がいるが、正直あの気持ちはよく分かるのだ。僕の人生にも「あの女のひとがいなければ」というシーンが幾度もあった。

十代の頃、煙たがられていた男たちは皆そうらしいが、女性を神格化する傾向がある。ただの柔らかいもの美しいもの優しいものというような「実在」として捉えていないのだ。もっと概念的な受け止め方で、物語や歌の中に置いてしまう。

元々が「女の子」という文字の持つ文学性、観念としてしか頭に入っていないのだ。完全なるデータ不足と言える。そしてこれは大人になってから覚えても覚えられない。やはり脳が元気な十代の頃に、「真の女性」を叩き込まなくてはいけなかったのだ。

「女の子」だって人間なのだから、「女らしい」なんて一言にはまとまらない。それぐらいはいよいよ分かっている。性格や価値観も多種多様に決まっている。良いやつもいれば嫌なやつもいる。明るい面もあれば暗い面もある。

しかし僕たち男たちは訓練が足りないので、稚拙な想像力とフィクションによるサンプルからしかその「女の子」という存在を探ることができない。

こうしたショボいイマジネーションからは「聖女か娼婦」といったイカれた二元論しか出てこない。もちろん現実の女の子には聖女も娼婦もいない。
ここに折り合いがつかないと、現実と理想の歪みにより、傷付き、ヤバめのストーカーが誕生する。

そうしてどこかで本物の「女の子」に迷惑をかけたり被害を出すやつになる。こうなるともう最悪なことになる。

痴漢の知り合いがいた。「手話でわいせつな言葉を撒き散らす。こうすると捕まらないから。もう捕まるのはゴメンだ」という途方もない知能犯になってしまった。
こうなると捕まる捕まらない関係なく、もう人間として終わっている(結局、シンプルに触るタイプの痴漢で捕まった。)

迷惑をかけてはいけないのだ。明日は我が身なのだ。
だから一刻も早くバンドでもやるべきだ。本でも書くべきだ。YouTuberにでもなるべきだ。

不安定な芸の道へ踏み出すと、その道は過酷で、あまりにも険しく、そのおかげから構ってもらえる可能性が出てくる。
僕たちは人生のどこかで何回かでも、それなりに真剣に女の子に構ってもらわなくてはいけないのだ。手話のような『迷惑』をかけることになる。

もちろん勉強かスポーツができる男子は問題ない。広告代理店にでも就職しておくがいい。古めのBMWに乗り、BBQの写真をFacebookにあげて、面白くない話にゲラゲラ笑っていても何も問題はないのだ。

僕たちバンドマンの二十代はそいつらに対する「今に見ておれ」を主成分にして出来ている。






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