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老人の声がデカすぎる理由

アルコール依存症とうつの治療をしている。

心療内科は町中に点在しているが、アル中病棟はそんなに数がない。入院施設でもあるので、広大な土地が必要なのだろう。僕の行っている病院はアルコール外来だけでなく、精神疾患のひともいれば記憶喪失のひともいる。

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この三鷹の病院は、中庭に螺旋階段があって、ベンチが同方向に十ぐらい並んでいる。いかにもリラックス効果がありそうな緑広がる空間なのだが、その背後には寒々しい白い病棟が建っている。

こういった施設にはある程度「層」のようなものがある。もちろん野球場も競馬場も書店も六本木のクラブもそうだが、「そこにいるひとの方向性、人間性」は偏ってくる。それこそが「層

そして病棟には老人が多い。ゴリゴリの老人というよりは老人のビギナーというか、老人になりたて、六十代頃の年齢がメイン層だ。

定年を迎え、酒をあおるしかなくなったのか、飲んでいる総量が年齢に比例しているのかは分からないが病院には六十代があふれている。

彼ら六十代患者は基本声がデカい。大声すぎる。
「俺はそんな遠くにいないぞ」と言いたくなるぐらいのデカさだ。

反して、若い患者(僕も)ボソボソ話す。相手は「密着しているわけじゃないぞ」と言いたいんじゃないだろうか。それぐらい声が小さい。

僕たちがボソボソしているのは何となく「後ろめたい」からだ。
「同世代は社会の役に立ち、健康に頑張っている。それに比べて俺は何をやっているんだ」という情けなさが、肩のすぼみと声の小ささを作り出し、自らの見た目の体積を少しでも減らしてしまう。

六十代老人たちは僕たちの何十倍もの音量で叫んでコミュニケーションを取り、僕たちはささやき続けている。シュールなコントのような風景だ。
こうなると仲が良くなるはずがない。他の患者と話す治療があるが、とにかくソリが合わない。

ある日、「俺は偉かったんだぞ、かなり!働いてたんだぞ!銀行で!」と吠えている初老の男がいた。文法のファンキーさが気にならないぐらいの声のデカさだった。

こいつはは院内でもわりと有名で、錯乱すると「昔はオヤジ狩りをしていた」という武勇伝を吠え散らかすので、「ハンター」と呼ばれている。

ハンターは威圧的な態度に反して、体はもう弱っているので、看護師さんに誤送されるように連れていかれていた。「退院したら飲んでやるからな、絶対!」という声がフェードアウトしていき、白い扉が閉められた。勝手に飲んで死ねばいいのにと思う。

その反面、僕もイチ患者として「俺もいつかは、こんな風に、この馬鹿のように我を失うんだろうな」と覚悟をしている。その中で純粋に不思議に思った。

医師は「ハンターはねー。アルコールで脳が萎縮してんの。だから感情の抑制ができなくなってんだよね」と眉ひとつ動かさず言った。そうなのだろうか。元も子もないが、僕はハンターの獰猛性は「老人特有の怒り」が作り出していると思っている。これだ。これが不思議なのだ。

老人も昔から老人ではなかったのだ。赤ん坊の時代もあったし、学生だったこともある。生物が数万年かけて生態を進化させるように、人間は数十年で老人になる。

そしてハンターは老人でなかった時代、老人を憎んでいたのではないだろうか。

ハンターはすぐにオヤジ狩りの話をするが、ご存知だろうか。
路上にいる中高年を襲い、金品を強奪する1996年の流行語にもなった凶悪犯罪だ。

犯人は若者が中心だったが、四十代が七十代を襲ったケースもあったそうだ。

「肉体的に弱った者ならば簡単に狩れるだろう、おまけに金も持っているはず」という合理的かつ残虐な思考回路が犯行動機なのだろうが、ここには年配者に対する侮りと憤りが根っこにあったんじゃないだろうか。

当時四十代の連中はもはや還暦を越えている。ハンターがオヤジ狩りをしていた真偽は分からないが、少なからず「老人より俺は偉い」という独自のヒエラルキーを持っているのは間違いない。

そんな自分が老人の入り口に足を踏み入れていることに気が付いていないのだ。ハンターはかつて憎しみと侮蔑の対象だったものに、自分が変形した認知的不協和から発狂していた。

ハンターの絶叫は他人にではなく、「老人」という概念に対してだ。過去の栄光や舞勇伝を老いたしゃがれ声で絞り出している。

そんなハンターが先日、亡くなった。日々の叫びは断末魔として、老いた自分を憎みながら消滅した。

病棟の中は壁をひとつ隔てた先で、人間が死んでいく。だけどどうしようもない病気ではないし、不幸な事故でもない。

勝手に酒を飲みまくって、尊厳を減らしながら、馬鹿丸出しに飲みまくって死ぬのだ。きれいさっぱりしている。同情などはない。

僕としては「馬鹿なアル中が死んだ」ぐらいの感想しかない。寂しくはある。でもそれと同時に恐怖が被さってくる。なんと言っても、僕はハンターと同じ海で泳いでいるのだから。



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