十三歳になると男はダンベルを買う
何を勘違いしたのかダンベルを買った。
たしか十三歳だった。何か特別なことがあったわけではない、と思う。
もちろん普段どおりなんて一年はない。記憶はないが、それなりに世間に事変は起きていたのだろう。扶養に身を預けたまま僕は十三歳になり、そしてダンベルを買った。
エロ本を買うのと同質の羞恥心だった。
駅前のショッピングモール内にあるスポーツショップ的な場所でこっそりと手に入れた。五キロぐらいのものを二つ。
店を出た刹那、異変が起きた。
「同級生に見られたらヤバイ!」と、何に戦慄しているのか、まったく意味の分からない心理状態になった。とにかく大至急帰ろうとした。
合計十キロの大荷物は質量として規格外だった。
歩みを進めては置き、進めては置き、ふぅふぅ言いながらダンベルを搬送していた。だんだんと移動時間が減り、休む時間が増えてくる。
急がないとマズイ、クラスメイトに見つかったら、『罪人』とかいうあだ名を付けられてしまう。
両手にかかるのは十キロなのに、何百トンものプレッシャーが全身に浴びせかかってくる。
心拍がスラッシュメタル並のBPMになり、もはや同級生どころかショッピングモール中、すべての階層から視線を感じていた。
当たり前だが、僕のことなど誰も気に留めていない。しかし十三歳という生き物は、視線察知センサーがバグっているから、全員が自分に注目している以外の考えがない。
「あぁ!もう、クソ!こんなもん、あぁ、何で俺が…!」などと、独り言と錯乱を和えた言葉を吐きながら進んだ。引きちぎれそうな袋に、指が飛んでいきそうだった。
都度都度忘れないように「あぁ!もう、クソ!こんなもん、あぁ、何で俺が…!」も挟む。進む、置く、もう一度挟む。
今現在、この現象は僕が望んだものではありませんよ。あくまで、誰かしら第三者によってもたらされた結果なんですよ。僕の意志ではないの、分かりますか?
時折これを伝えていかないと、自主的に買ったとショッピングモール中に知れ渡ってしまう。
そんなことがバレたら「あいつ筋肉つけようとしてる」と思われてしまう。「何になるつもりやねん」と勘違いされてしまう。
違う、何になるつもりとかではない、別に筋肉をつけたいわけでもない。ただ、なんかダンベルを部屋に置いてみたかっただけ。もちろんちょっとは持つかもしんないけど、そんな筋肉とかじゃない、違う。
この想いが届けばいいのだが、誰にも届かないことは、十三歳のセンサーも反応する。むしろ「相手にされない」という憐憫に関してはやたらと敏感になる。
もう今度は寂しくなってくる。重いし。寂しさのせいで「寂しくなんかない」と吠えたかった。アメリカの高校生だったら、銃を乱射しているぐらいのカンシャクが体内で生成されていた。
手ぶらなら十五分ほどで家に着くのに、一時間ほどかかった。懲役を終えた気分だった。
部屋の中でちょっとだけダンベルを持つ。上腕二頭筋に言われもしないパワーが宿るのが分かる。
いや、筋トレとかじゃない。ただ持っただけ。別にそんなんじゃないよ。筋肉とか興味ない。ましてや、モテようなんて思ってすらない。そんな発想がよぎることがそもそもありえない、という気持ちと共に置かれるダンベル。
もうヘトヘトになってしまった。ショッピングモールの視線が自室の壁すらも貫通してくる気がする。ダンベル性統合失調症の疑いがある。
夜になっても眠れなかった。
部屋にかかる総重量が十キロ増した影響により、大気のバランスが狂ったのだろうか。
夜霧がアスファルトを濡らす頃、体を起こしてベッドに腰かけた。
戦地から帰ってきて、PTSDを発症した兵士のような自律神経の乱れを感じた。疲れているのに眠りの海に沈めないのはつらい。
ふと床に目をやると、窓からにじむ月明かりにダンベルのシルバーが反射していた。赤のグリップが薄暗さの中で、その形状を表していた。
手のひらを伸ばし、腰をもちあげて、ダンベルを持つ。薄闇の中、上げる、下げる、上げる、下げる。そのたびに銀の光が煌めいた。
筋肉をつけたいわけじゃないし、モテたいわけでもない。もちろん筋肉もあるといいと思う。モテもほしい。でもそれだけじゃない。
何者かになりたかった。世界から認知されたかった。
「とてつもないことが始まろうとしている」と思っていた。
ダンベルは重くて五、六回しか上がらなかった。
翌日以降、一度も持たなかった。とてつもない飽き性だった。
まったく同じスタンスでギターを買った。
ダンベルとギターが逆だったら、僕は今ごろ何になっていたのだろう。
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