売れたいとかじゃなくてなんとかしたかった

なんだかんだ145,000回も再生された。

「音楽を演る」という行為が「演奏する」と異なりだして久しい。

もう十年近いだろうか。

僕が「自分の音楽を商業的になんとかしたい」と思ったのは2011年からだった。

ミスチルやスピッツになりたいわけでもなかったし、「売れたい」というわけでもなかった。

もちろん「金持ちになりたい」という話でもなかったし、「枚数を稼ぎたい」わけでも、「動員を増やしたい」わけでもなかった。

僕はただ、「なんとかしたかった」のだ。

「人間にモテたかった」とも言い換えられる。

アホな話だが計画も何もなかった。というより計画はすぐに破綻した。本当は上京したバンドで「なんとかなりたかった」のだ。しかし無力なもので一年ほどでなし崩しに解散した。

アレからは無計画に無計画を重ねるしかなかったし、その無計画さはカイジに匹敵するほどだった。

だからひたすら「現状よりちょっとマシな人生」を目指し続けたのだ。ものすごく次元の低い自己啓発だった。

「より良い人生を送る!」とかではなく、「ちょっとマシ」という基準値の低い、笑える啓発だった。

その「マシになるための手段」が筋トレや勉強やセミナーへの参加や起業や朝活ではなく、『音楽』だったに過ぎない。

だからこそ沢山作れたし、沢山弾けたし、沢山歌えたのだと思う。

僕にとって『音楽を演る』というアクションに大した魅力はなかったのだ。
それだけなら家で一人で作って、弾いて、歌っていればいい。しかし、これではすぐに飽きていたように思う。

あれから大きくは変わらず、今も僕の人生の真ん中で音楽は続いている。

「演奏なんて手段」という距離感だからこそ、続いてきたのではないだろうか。「自分」に飽きたら完全に止まるのだろうか。もしくは「新しい何か」が現れたら終わるのだろうか。それとも音楽は別枠なのだろうか。

今の自分にとって音楽は「今よりちょっとマシ」を狙うものではない。

「QOOLANDよりちょっとマシ」を狙うものなのだ。

これが案外大変である。

それなりにやってきたし、それなりに壁は高いからだ。

「かつての自分の墓標を超える!」なんて、もはや呪いだ。しかし呪われた人生もいいものである。

「そもそも違うバンドだし」とか「比べるものではない」とか「理想が低い!」とか「新しいバンドなんて聴きたくない!再結成して!」とか、外部から声はポンポン飛んでくる。

それらはすべて正しい。

違うバンドだし、比べるものでもないし、バンプやアジカンを目指さないと駄目というひともいるだろう。

再結成もそうだ。これだけ世の中に再結成が溢れているのだ。僕たちが「しない」ということもないだろう。またやるとなったら、楽しくできるとも思う。

ただ、「自分は」というだけなのだ。

やっぱり未だに「もうちょいモテたい。女とかじゃなく人間に」が続いているのだ。好かれるために生きてはいないのに業が深い。哀しいことに。



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