言葉に気をつける

「言語化スキル」というのものが見直されつつある。僕の中で。

というか世の中的にも言葉にする力が優れているひとは一目置かれやすいんじゃないだろうか。このリモートの世の中だ。ウィルスが仮に関係なかったとしてもSNSの時代に「言葉」はつきものだ。

多くの人々が「エモい」だの「ムカつく」だの「ヤバい」だのと外国人の言葉を使う中で、「世界のはじっこに一人きりおきざりにされた気分」や「テーブルをひっくり返したい気分」や「体が飛び上がるほど驚いた」など言えると一際違う人物になれる。

多くのひとは「なんかいい感じ」「なんか違う」みたいなことをそれ以上解像度高く言語化できない。学校でそれらを教わった気もするけれど、習得できなくても卒業できるので、野に放り出された僕らは成人した後も「いい感じ」で乗り切ってしまう。

それが悪いわけでもないのだが、言語能力が低いとときに幼く見られてしまうことがある。それに「言葉にならないようなこと」をピタリと言い当てられるひとは重宝される。希少な存在というのは、つまりその他大勢ではないということだ。

稀有なひとは年上からも目をかけられるし、年下からはついて行きたいと思わせるひとになる。反対に凡庸ではどうしても埋もれてしまう。

どういったスキルで自分という存在をスペシャルにしていくかだけど、その中で「言語能力」はかなり後天的に身につけやすく、少し意識するだけで誰しもが今よりも良くなるものだと思う。

SNSやメールで「文字のコミュニケーション」が増えたからこそ、テキストの力というのは大事だ。
さらに言うと、テキストというのは誤解も招きやすい。相手を怒らすつもりがなくても、怒らせることになるときがある。Face to Faceのハードルが上がった時代だからこそ、気をつけたいポイントだ。

少し意識するだけで相手に気を配れる。逆に言えば意識しないということはその程度の気の配りもできないやつだと思われもする。「言葉に気をつける」というのはコスパのいい意識のフォーカスだ。


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