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年をとり永遠の輝きは要らなくなる

また一つ歳を取ってしまった。上京して十年である。嗚呼、もうすっかり「東京もん」だ。

それにしても2010年、あの頃近くに居た人間が腰を抜かすほど身の回りに残っていない。

改めて「ひとは離れ、出会い続ける」と感じる。

月日が経てば経つほどに痛感する。
命が終わる日、身の回りの顔ぶれは果たしてどのようなものなのだろうか。

ただ、「自分から離れないもの」もある。服や友達や恋人や車や家や時計ではない。

服は醤油をかけるし、友達は死ぬし、恋人は別れるし、車はいつか廃車になるし、家も焼けるし、時計も落とす。

だけど「自分自身に刻み込んだもの」は失くならない。自分の中のものは死ぬまで一緒だ。

経験してきたことは決して失くならない。それだけ分かっていれば寂しくない。別れたもの、失くしたものは「失くならないもの」として刻まれる。

友達、恋人、家族、メンバー。いろんなものと出会って、教わった。そして時が来れば離れていった。

一箇所に留めておくと水も腐る。

「永遠の輝きを!」とダイヤモンドを売りつけられそうになったことがある。

せいぜい五十年しか生きられない人間に永遠の輝きを売りつけてどうするのか。永遠なんか無いし必要無い。欲しいのはイマだけだ。

僕の当初のスケジュールからすると、想定外に長く生きてしまった。

ロスタイムが十年を越えた。これは惰性だ。だけど惰性が案外悪くない。ここからも移ろうことにビビらないでいたい。





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