自由vs不自由

『ヒライ企画』という個人事業届けを、QOOLAND始動の2012年に提出した。

七期目にしてようやく株式会社になり、今年の11月を持って法人化した。国税庁からちゃんと認可されたのだ。

当時から独立していたのは、QOOLANDが黎明期から忙しすぎたためだ。単純にアルバイトができなかったのだ。

狂ったように曲を書き、配りまくった。ダウンロードに、特典にと、とにかく曲を配った。

しかも2012年の段階でライブを80本やっていた。まだ始めたてのバンドだったのに、だ。尋常ではなかった。

音楽に捧げる時間を計算すると、時給では生きていけなかったのだ。

だから完全歩合のフルコミッション商材を売ることにした。100か0か。生きるか死ぬかを毎月やっていた。

不安はあったが、上司や先輩にヘコヘコしなくていいのは助かった。屈辱を売って対価を得るのが苦手だったからだ。

2014年に『街と大都市』がリリースされる頃には、あまり働かなくて良くなっていた。「音楽だけでメシを食っている」というやつだ。

しかしそれまではガッツリやっていた。

おそらく時給にならせば5000〜7000円ぐらいになっていたと思う。ただ、ヒライ企画の収益は月収20万円ほどだった。

もっと本腰を入れれば、月収300万円ぐらいにはなったかもしれない。だけどやれなかった。

時間の方が貴重だったからだ。めちゃくちゃに曲を書かないといけないスケジュールだった。それは解散するまで変わらなかった。2013,14,15年あたりの音楽業界はCDという商材を次々と出さないと、仕事が途切れる時代だった。

しかし、こう書くと「個人事業はアルバイトよりも、おいしい!」と感じるひともいるかもしれない。そんなことはない。負けたらゼロ円である。

しかも雇用保険も無ければ、社会保険も無い。残業代も最低保証も、交通費も何もない。社会から「雑魚は死ね」と言われているのと同義なのだ。

野菜とガスの販売にミスって400万ほど負けたことがある。あの頃は共同だったが事務所も借りていたので、追い込まれまくった。
酒と抗うつ剤に逃げるしかなかった。思い返しても胃が千切れそうだ。

ちなみに「それでも弾こう」と「COME TOGETHER」のアルバム二枚の発売元も『ヒライ企画』である。下高井戸レコードという名前は単なる店舗名のようなものだ。

そんなイカレた場所が、まさか法人化するとは思わなかった。嬉しい。

僕はそもそも「自由」を追い求めて、大人になった。自由に飢え狂っていたガキだった。今でも縛られるのが大嫌いだ。

縛ろうとする人間、一方的に振る舞おうとしてくる人間には未だに噛みつく。
いくら丸くなったとしても、譲れないものというのはある。

だが、追い求めると分かるが「自由」というのは決して美しい言葉ではない。自由を選べば人間は生きていく上で、非常に不自由になる

もちろん自由のために耐え忍ばねばならない孤独や心細さに比べると、自分を殺し、「掟、規則、ルール」の持つ不条理に耐える方がはるかに苦痛は少ない。

ただし、そのどちらを選んでも苦しみと安楽さの収支決算は、たいしてちがわないようにも思える。

自由は冷たくて寒いものだし、束縛はあたたかいが腐臭がする。

どちらを選ぶかは「首吊りがいいですか。飛び降りがいいですか」と問われているようなものだ。

だが少なくともその選択は、それらを引き受ける本人によってなされるべきだ。

どっちかを選んでいくことかは、人任せにしない方がいい。

たとえば 「野球部の男子は丸刈りにすべし」という規則がある。これは無茶苦茶である。

世界中で丸坊主を強制されるのは、タイの修行僧か、刑務所に服役する男だけだ。

いったい何の権利があって、野球部を丸刈りにするのか。

多くの権力者の答えとしては「学生らしさを損なわぬため」というようなものが返ってくる。

これは真意を言いかえれば、自分が丸坊主であることによって 、その子が自分の行動を「学生らしさ」の中に封じ込めてしまうことで、非行を未然に防げる、ということである。

つまり刑務所の丸刈りと同じ論理だ。

この時点で教育者は「教育」という自分のプロフェッショナリズムを放棄し、単なる「看守」に自らを成り下がらせたと言える。

少しでも自由になることを選択した人間として、僕は未だに看守と付き合うのはキツイのだ。

自由がほしいなら、看守の性質を持つ全ての人間と対立する覚悟がいる。これもまた自由を選ぶ寒さの一種だ。自由とは薄着だ。

この記事が参加している募集

自己紹介

音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!