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けなす関係者が20%

100人以上のライブハウスの店長、ブッカー、イベンター、レーベル担当、A&Rなんかのいわゆる「若いバンドを評価するひと」に出会ってきた。

いろんなひとがいたが、大きく分けると「けなすか、けなさぬか」に分かれる。大半が優しいひとだが、20%ぐらい「頭ごなしにけなすおっさん」が紛れ込んでいる。

「すべてのバンドに才能があると言え」とは言わないが、駄目、無能と判断するのは勘弁してほしい。

ちなみに僕は「けなすひと」との邂逅では、まずけなされた。人間的に気に入らなかったのか、分かりやすく無能だったのかは定かではないが、デフォルトで見損なわれていた。

戦果をあげていた同世代、同シーンのバンドと「違っている」とやはり「けなし」を浴びやすい。

もちろん「違い」の中に圧倒的実力があればいいのだが、「大したことない分際で違う」のであれば否定の対象になる。

だけど今思うのは、「素質の有無なんて誰にも分からん」ということだ。

もちろん進化は跳躍しないから、全然歌えないひとが歌唱力抜群のシンガーにはなれない。ただ、まったく別の能力が隠されているかもしれない。

表面化されていない素質というのは、目に見えていないのだから分かるはずがないのだ。それでも「けなすひと」は目視できるものしか認知できない。「先を考えない人物」とも言える。

『一見無能な者だが、違う何かしらで戦果をあげる可能性』を思索できないのだろう。彼ら「けなすひと」は物事を表面的にしかさらえないので、諸々を粗末にしてしまう。

僕は冒頭にあったような「音楽関係職」には縁がない。遠ざけてきたのか、依頼がないのか分からないが、興味もないし、向いてもいないと思う。

「けなすやつ」にならない自信はあるが、かと言って何をどうやって、バンドたちと関わればいいか分からない。

先日、KEYTALKたけまさがスタジオに遊びに来てくれた。優秀なギタリストと一緒にバンドをクリニックするのは面白かった。どんどん僕たちのサウンドは良くなった。
そこには「嗚呼、こうやってバンドたちと関わればいいんだな」という答えが詰まっていた。

業界にいる人々すべてが音楽を深い部分で愛していれば、「けなし」なんて生まれない。そんな確信がアンプから増幅され、磨かれた音がドラムとベースに重なった。

若いバンドよ、「けなし」を信じすぎると楽隊は餓死寸前みたいに痩せ細る。「何を言ってるんだこいつは」という姿勢が自分を救う。自分を救えない者に他人に響く歌など作れるはずがない。


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