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71.休職にゆえヒマなり

Q.こんばんは。
休職が伸び、9月末までになってしまいました。すでに2か月半休んでおり家にいても肩身が狭く、また本当に10月から復帰できるのかもとても不安です。いつも不安がつきまとい、休職しているのに気持ちが休まりません。
2020.8.25 てきとうさん(25歳・女性)

A.「ヒマになると不安になる」と言いますね。
忙しいときは、悲しいことがあっても痛みが和らぎます。ではどうやって「『多忙』を手に入れるんかい!」かという話になります。

もちろんAmazonにもファミマにもホームセンターにも「多忙」は売っていません。ホームセンターに無いものは、たぶんどこに行ってもありません。

この「ヒマさ」の解消ですが、昔のひとはどうしていたんでしょうかね。スマホやネットのない時代はかなりヒマそうです。

ソクラテスやプラトンのような古代ギリシャの哲学者も「ヒマさ」は持っていたかと思います。「畑を耕すので大忙しなのよ!」という農耕民族は、論理的明晰化に生涯を費やしたりしません。

頭を抱えてらっしゃるのに「ヒマでつらいのよ」という悩みに変換しちゃいますね。すみません。

一番ラクなのは今の仕事を辞めちまうことです。

僕はすぐに「辞めたらええやんけ」と言ってしまいます。
「いただきます」よりも多く言っている気がします。挨拶に込められた本質は「礼節」です。僕にとっての礼節は「辞めろよ」なのでしょう。

もちろん「簡単に言うなよ馬鹿が」と罵られてしまいます。
「じゃあ辞めるのをやめて、続けるといいんじゃない?」と答えます。すると倍の勢いで罵られます。


こうなると僕は顔をおおって泣くしかありません。すると子どもの頃にいたいじめっ子のように、そいつはおおっている手を無理やり剥がしてくるのです。嘘泣きだと思っているのでしょうか。心外極まれりです。嘘泣きとはいえ、疑いをかけられるのはひどい話です。

「やめれば?」
「いやや」
「じゃあ続ければ」
「馬鹿が」
というこのゲームは初めから詰んでいるのです。

「辞めたらええやんけ」に戻りますが、僕は心からベストだと思っています。

人間は油断していると、所有欲にとらわれてしまいます。これはあちらこちらの土地を手に入れようとした帝国思想とさして変わりません。

では手に入れ続けた先に何があるのでしょうか。

その答えは「もっともっと欲しい」です。欲望の炎は尽きることなく燃え上がり、やがては己の身を焼きます。

「欲望」というこのエネルギーは生きていく上で必要なものです。少なくとも現代の資本主義、経済社会の中では「幸福度」とも密接に関わってきます。「欲しい」は一定量必要なのです。

しかし大切なのは「適量」です。
僕は「手に入れたいと思う力」と「手放せる力」は違うものと考えています。たしかに有ったものが、壊れてしまうのは苦しいものです。「無い」と「失くなった」では確実に痛みの量が違うからです。

痛いのは百も承知ですが「無い」と「失くなった」では「失くなった」方が得なのではないでしょうか。少なくともその体験ができたからです。
ゴミみたいな経験ならしないほうがいいと思いますが、「ゴミのような経験」というのは、この世にあまり存在しません。

僕の人生も思い返すと希少な体験ばかりです。ゴミなのは小学校から高校までの経験ぐらいです。辞めればよかった。

今のうちです。辞めちまいましょう。

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