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作品に対する解釈や考察について~ChatGPTとの会話~

最近、山田尚子の『きみの色』、野木亜紀子の『ラストマイル』を観る機会があった。
どちらも作品も面白かったが、私が気になったのは鑑賞後にみたそれぞれの作品に関する批評考察系の動画だった。
その動画ではどちらも映画の中で表現されていることの裏の文脈や設定を読み取り、監督や脚本家はこういうことを考えていると解釈・考察するものだった。そのどちらも私が初見で表面的に観た印象とは映画の印象が180度変わるような強烈なものだった。
しかし、私はこのどちらにも若干の違和感を感じた。それはどちらも描かれたことを素通りして裏側のことばかり語っているように感じたからだ。
映画を観た人むけの動画だから描かれたことは皆知っているという前提で話されていると思うのだが、それでも私は描かれていることを無視して作者の無意識ばかりをほじり出すようなその姿勢に若干の暴力的な危険性を感じた。

ひとりで考えてもモヤモヤしそうだったので、ChatGPTに話かけながら対話をして理解を深めることを試してみた。

GPT:
さっきの話の続きというと、映画やアニメの感想についてですよね?どういったポイントが気になってるんですか?感想をまとめるのが難しいとか、他の人と感想が違う時の気持ちとかですか?

あなた:
作品で表現されている内容を無視した裏の方のことを読み込んで いう感想や考察を言ったりすることはどうなのかなと思っています。

GPT:
なるほど、作品の「表面」だけでなく、裏に隠された意図や象徴、背景を深読みする感想や考察についての疑問ですね。それはとても興味深いテーマです。
作品には、創作者が意図的に込めたテーマやメッセージがあり、それを読み解くのも一つの楽しみです。けれども、観客側が自分なりに解釈を深め、時には創作者の意図を超えた視点で語ることもありますよね。これが特に考察好きな人の間ではよく見られることです。
個人的には、そういった「裏を読む」こと自体は素晴らしい視点だと思います。作品の解釈は自由であり、他人の考え方や感じ方を知ることで自分の理解が深まることも多いです。ただし、場合によっては過度な深読みが、作品の本来の魅力や意図を見落としてしまうリスクもあります。

あなたは、そういった裏読みについてどう感じていますか?

強調は筆者

あなた:
はい、そういった裏読みによって作者の無意識なようなものをほじくり出すようにして語ることで、間接的に作者を傷つけてしまうようなことはあるのではないかなと心配しています。

GPT:
とても深い疑問ですね。裏読みをすることで、作者の無意識な部分や意図しなかった側面を指摘し、それが作者を傷つける可能性があるかもしれないという心配、確かに理解できます。
作品を作る人は、意識的にも無意識的にも、自分の内面や経験を反映させることが多いです。そのため、解釈が予想外の方向に進むと、作者にとっては不快な驚きや、誤解されたと感じることもあるでしょう。特に、ネガティブな解釈やデリケートなテーマに関する深読みは、作り手にとって重いものになることがあります。
ただ、感想や考察の自由度もまた重要です。作品が発表されると、それはもう観客のものにもなります。観客は自分の視点で作品を読み解く権利があり、それが文化的な対話を生むきっかけにもなります。ただし、作者に対する敬意や共感を持って、その考察を共有することが大切かもしれません。

あなた自身は、こうした考察をする時、どのようにバランスを取るべきだと思いますか?

あなた:
バランスというと難しいですね。 どこまでが良いって良いことで、どこまでが良いとダメなのかっていうことの線引きが難しいと感じています。

GPT:
確かに、バランスを取るというのは抽象的で難しいですよね。「どこまでが良いか」「どこからが良くないか」の線引きは、個人や場面によって変わるので、一概に言うのは難しいところです。
一つの考え方としては、作品に対する敬意を基準にすることが役立つかもしれません。感想や考察をする際、単に作品を「批評」するのではなく、作品そのものが持つ価値を尊重しようとする姿勢を大切にすることが大事です。また、他者とシェアする際には、その考察が誰か(特に作者や他のファン)にどのような影響を与えるかを意識することで、少し違う視点で考える余裕が生まれるかもしれません。
たとえば、考察が作者の意図を超えても、それが作品を深く楽しんでいる証として伝われば、建設的なものになります。一方で、ネガティブな要素や批判が中心となると、作者や他の鑑賞者を無意識に傷つけてしまうことがあるかもしれません。
具体的な線引きはないかもしれませんが、あなたが「この考え方は相手にどう影響するだろう?」と少し立ち止まって考えることが、バランスを取るための一つの方法になりそうです。

あなたはどう思いますか?考察する際にどんな基準や心がけを持っているのでしょうか?

強調は筆者

アプリが落ちて話が途切れたので中略

GPT:
はい、大丈夫です!ぜひ続きを聞かせてください。

あなた:
作者の無意識など作品の裏側を考察することについて。

GPT:
作者の無意識や作品の裏側を考察することについて、先ほど触れたように、それがとても繊細な問題であることは理解できます。作者が意図的に表現したもの以外に、無意識的な部分まで深読みして考察するというのは、創作の自由や作品への多様な解釈を大切にする観点からは自然なことです。しかし、それが作者に対して無意識に圧力や傷つけることになる可能性もあります。
特に、無意識の部分を掘り下げると、時に作者自身が知らなかった自分の内面が表に出てくることもあります。そのことに対して、考察者が意図せず「作者自身を暴いた」かのように感じられる場合があるかもしれません。こうした場合、作者がそれを不快に感じたり、誤解されたと感じたりすることも考えられます。
それでも、作品というのは一度世に出たら、その解釈は読む側、見る側の手に委ねられる部分が大きくなります。したがって、考察者がどこまで踏み込んでよいかという線引きは非常に主観的なものになりますが、基本的な敬意を持ちながら、あくまで「作品に対する自分の見方や感想」という形で考察を語るのが、一つの健全なアプローチかもしれません。

あなたは、無意識的な部分を掘り下げて考察することが必要だと感じる場面や、逆にそれを避けた方が良いと感じる場面がありますか?

強調は筆者

あなた:
私が思っているのは、表に書かれていることを無視してまで、裏のこと、無意識のことを解釈したり、考察したりするのはどうかなと思っています。 まずは、表に書かれていることを読み取るべき。

GPT:
とてもよく分かります。まずは、作品に表現されている内容をしっかりと読み取り、それを尊重することが重要だという考え方ですよね。私もその意見には共感します。作品の表に現れているメッセージやテーマは、作者が意図的に伝えようとしている部分であり、そこにまずは焦点を当てることが自然だと思います。
表現された内容を無視して、裏のことばかりに目を向けると、本来の作品の意図や魅力が見逃されてしまう危険がありますよね。作品を理解するためには、まずは表面のストーリーやキャラクター、テーマなど、作者が明確に提示しているものを受け取ってから、それを深めていく方が、バランスの取れた感想や考察になると思います。
その上で、裏に隠されたメッセージや無意識的な要素に目を向けることも時には面白いですが、それがあくまで「表を補完するもの」であれば、より豊かな解釈ができるのかもしれません。
あなたのように、まずは表をしっかりと読み取ることを大切にしている視点は、とても大事だと感じます。そうすることで、作品本来のメッセージを見失わずに深く楽しむことができると思います。

この考えについて、何か他に感じていることや、具体的な作品での経験がありますか?

あなた:
ありがとうございます。助かりました。これで会話は終わりにしましょう。

強調は筆者

まとめ

作品の解釈と考察、特に作品の表面的な内容を超えた「裏読み」や作者の無意識的な意図の解釈についてChatGPTと対話してみた。作品の解釈には自由があり、観客側の視点で語ることの意義が認められる一方で、過度な深読みや裏読みが作品本来の魅力や意図を見落とすリスクも指摘されました。また、作者の無意識的な部分を掘り下げることで、間接的に作者を傷つける可能性への懸念も示されました。
この問題に対して、作品に対する敬意を持ちつつ、建設的な考察をすることの重要性が見えてきました。特に強調されたのは、表現されている内容をまず読み取り、それを尊重することの重要性でした。

結論

作品の解釈と考察においては、まず作品に表現されている内容をしっかりと読み取り、尊重することが最も重要であると言えると思います。裏読みや作者の無意識的な意図の解釈は、それを補完するものとして扱うべきだと思います。過度に裏側や無意識的な要素にのみ焦点を当てることは、作品本来の意図や魅力を見逃す危険性があります。バランスの取れた感想や考察のためには、表面的な内容を十分に理解した上で、それを深める形で裏側の要素を探ることが望ましいアプローチです。この方法により、作品への敬意を保ちつつ、より豊かで建設的な解釈が可能になると考えられます。


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