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怒りは自分が作り出す

こんにちは。能力再生相談所、内匠です。
今日の昼休みに目に留まった記事を今日はご紹介したいと思います。

記事はこちらになります。

「謝らせても恨みは消えない」過去のネガティブな記憶を落ち着かせる唯一の対処法 罵倒しても、謝罪させても怒りは増すばかり… | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

この記事を読んでなるほどわかるなあという点と、ちょっと自分とは違うな、と思う点がひとつづつありました。

まずは前者から行きます。記事から引用します。

さらに記憶は、思い返しの度に加工されていくことが知られています。たまたま思い出した嫌な記憶は、思い出した直後、つらい体感を伴っています。この状態では、危険な部分が強調されています。落ち着いて再検討すれば、違う見方が生まれてくるものです。それを狙うのがカウンセリングです。ところが、一人で考えていると、危険な部分だけを「見て」、嫌な気持ちを消すために、「忘れてしまう」という対策をとってしまいます。冷静な分析まで届かないばかりか、嫌な部分を何度も反復してしまうので、嫌なところだけが拡大された記憶に加工されてしまうのです。先に紹介した防衛記憶、恨みの記憶が育つメカニズムです

これ、自分でも体験的に理解できるところでした。確かに、嫌なことって思い返せば返すほどに嫌な部分が強調される感覚はあります。怒るために思い出す、みたいなところもありました。言ってみれば自分で怒りの炎に空気を送ってさらに火勢を増す、みたいな感じですね。

では後者の、違うなと思った点は何か、です。それは次の部分です。引用します。

ネガティブな記憶はあれこれいじるよりも、自分の関心を他にそらしてしまうほうが得策です。具体的には、親と距離を取る、親子以外の他の人間関係を充実させる、楽しい趣味に没頭する、などです。親関係の刺激が入ると、どうしても記憶にアクセスしてしまいます。その頻度を下げることで、記憶の棚に向かう回数も減らせるでしょう。

これは確かに一時的にはそれも効果はあるかと思います。しかしその感情はそのままにして置いた時には一時忘れてもまた同じように自分で怒りの炎を焚きつけるということは十分に考えられます、それも自分が意図しないところで。

ではどうしたらいいのか、ということですが、結局のところ、その出来事に感謝するしかないんです。そんな嫌なことにどうやって感謝するんだ?と思われるでしょう。
でもよくよく考えてみれば必ず嫌なことの裏にいいことが潜んでいるものなのです…私も最初はそんなはずないと思ってましたけれども、人生デザイン構築学校®で学ばせていただいたおかげでそう考えられるように少しずつなっています。

うまいたとえがなかなか出てこないので説得力がないかもしれないんですが、例えば親が共働きで子供のころ遊んでもらえなかったということを恨めしく思っていたとします。確かに親にかまってもらえなかったという点では子供心にはダメージを受けるところはあったかもしれません。ほかの家の子が親と夢の国で遊んできた、という話を聞いて羨ましいなと思ったかもしれません。
でもそのお陰でもしかすると自分で何でもする力が身に着いたとか、あるいは読書する習慣ができた(一人で楽しむ方法を見つけた)、みたいなそのネガティブだと思っていた体験があったればこそ自分が身に着けた何かがきっとあるはずなんです。そしてそれが今自分の仕事に活かされているとしたら?それによって今時分がひょうかされているとしたら?
そう考えることができたら確かにあの事は嫌だったけれど自分もメリットがあって今それによって良いことが起きているとするならば、あるいは良い面があるということに目を向けることができたならば、恨むばかりじゃなくその出来事に感謝できるんじゃないかと思うわけです。
そしてそれができればいつまでも怒りの感情によって自分が前を向けないというようなこともなくなるわけなのです…なので一度是非、そういう思考をトレーニングしてみてはと思う次第です。ひとつでも二つでも見つけることができれば第一歩はしめたもの、そう思います。

ということで今日もご一読いただきましてありがとうございました。

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