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「たくみさんって、なんでいつもそんなに幸せそうなんですか?」に対する答えと、最近思い出した幼少期の体験

よく言われる。

「たくみさんってしあわせそうですよねー」って。

悩みなさそうですよねー。いいですねー。みたいなニュアンス含めて言われる。(いやいや、ちゃんと悩みぐらい人並みにありますから。笑)

でも、とは言えおそらく一般的に考えれば幸せに生きているんだと思う。
そして、その根底にあるのは圧倒的な自己肯定感。

よく麻理恵さんにも言われる。

「たくみさんって、本当にいつも明るいよね」って。

こちらも、私はいつも大変なのに、あなたは呑気な感じでいいよねーっていう皮肉含めて言われていることも少なくない。笑

でも、これもそうだと思う。
私は、たぶん人一倍

ご機嫌に生きるのが上手だ。


今日はその秘訣と、なんで私がご機嫌にしあわせそうに生きていけているのかについて書いてみたい。なんかそれで少しでも、ご機嫌に生きていくお役に立てたら嬉しい。


まずはじめに、私が考えるしあわせとは何か。
それは一言で言うと、自分らしく生きられることです。

そのためには、自分らしさを見つけ、自分らしさを活かし、そして自分らしく生きられるというステップがあると思っている。

どうしたら、自分らしさが見つかるのかを知りたい方は、ぜひこの本を読んでみてほしい。

上記は、本当に名著だから読んでみてほしい!

そして、今日お伝えしたいことの本題は、自信。

自分らしく生きていく、そしてしあわせに生きていくための根底の根底の根底にあるのは、自分に対する自信。自分に対する信頼だ。

そして、私は、これがとても高いのだと思う。

とは言え別に、生まれてこの方ずーーーっと自信があったわけでもないし、今も日々悩みはある。できるかどうか不安になって、自信の無い時ももちろんある。(そうは見えないのかもしれないけれど。)

でも、それは経営者として、プロデューサーとして、責任ある人間として振る舞っているから、そう見えていないだけとも言える。いつだって新しい挑戦の前は怖いし、不安。そんな普通の人間だ。

しかし、根っこの根っこの根っこのところでは、自分はできる。と思えている。そう、自信があるのだ。

最近、あるインタビューで聞かれて「なんで、私はこの根本的な自信があるんだろうか」と考えた時、完全に忘れていた幼少期のできごとを思い出した。ちょっと、そのことについて書いてみたい。


私は、広島県尾道市瀬戸田生まれ。本州と四国の間にある、しまなみ海道と呼ばれる橋でつながっている島(生口島:いくちじま)の生まれだ。人口は7200人。親父もおふくろもその島の出身で、高校の同級生同士が結婚して長男で生まれたのが私。卓巳。ちなみに卓巳の名前の由来は、親父が大の読売巨人ファンで、江川卓選手の「卓」の字から来ているらしい。

生まれた後、父親の仕事の関係で広島県呉市に移り住むことになる。なので、基本的には呉市が私の育った場所だ。

呉市は、元は九つの山に囲まれた場所として=「九の嶺(くれ)」だったのが、呉市の由来と言われている説もあるほど、山に囲まれた場所だ。

私の育った家も、山の中腹よりも少し上ぐらいにある借家(しゃくや)で、思春期には『自転車立ち漕ぎのまま家まで帰れるかどうかチャレンジ』を勝手に開催(一人の孤独な大会w)するぐらいには急な坂があるところだった。

まぁ、そんな場所だったんだけど、家は小さくて二階建て。基本的に一階に一部屋、二階に一部屋あるだけのこぢんまりした賃貸。そこと同じ敷地内には、大家さんの家と、その大家さんのご家族が住む家があるだけの三世帯が暮らす小さな敷地だった。

それぞれの敷地の間には、庭と呼ぶには小さいけれど、ちょっとしたスペースがあって、そこで幼少期は遊んだりしていた。

今日のメインの登場人物は、その大家さんのご親族で、お隣にお住まいだったO谷さんだ。

つまり、ただの隣人で、なんだったらうちは家を借りている人のご家族という、まぁまぁの他人。でも、同じ敷地内に我々しかいないから、かなり良くしてもらっていた。

このO谷さんは、ご自宅の一階で学習塾を経営されていた。結構な夜遅くまで明かりがついていて、勉強している様子を横の家に住む私は窓越しに感じながら生活していた。

学習塾で教えていたのはO谷さんのお母さん。O谷さんの家には私よりも6つ上と4つ上ぐらいのお姉ちゃんたちがいて、やっぱり学習塾を経営するぐらいのお母さんの娘たちなので、とても勉強のできる人たちだった。

話は長くなったが、そろそろ本題に入ると、

私が自信の源を与えてもらったのは、O谷さんのお姉ちゃんたちからだった。遊びの一環で、お姉ちゃんたちから庭で勉強を教えてもらっていた時期があった。

家と家の間のイナバ物置(O谷さんの家の倉庫)には、お父さんの趣味の釣り道具がたくさん入っていて、そこには釣った魚を入れる用のクーラーボックスが3つ入っていた。大中小、みたいな。

そのクーラーボックスを家と家の間の庭みたいな場所に引っ張り出してきて、机と椅子がわりに使って、漢字ドリルや算数ドリルをO谷さんのお姉ちゃんに教えてもらっていたのだ。

O谷さんのお姉ちゃんが先生役。
私が生徒役。

今思えば、おままごとの延長線上にある塾ごっこみたいな遊びだったんだと思う。

でも、私がなぜ「やったらできる」という自信が育まれたのかということを考えた時、あの時の経験が強く影響していると思い出した。

クーラーボックスでしていた塾ごっこのおかげで、私は勉強が好きになった。そんなに難しい問題を解いていたわけじゃないし、別にすごく授業を受けていたわけじゃないけれど、

答えを書いて、それが正解だったら褒めてもらえる。

だた、このシンプルなやりとりの繰り返しのおかげで、自分は「やったらできる」という根底の自信が身についたように思う。

そして、気がつけば小学校1、2年の時の勉強は「塾ごっこ」で予習が済んでいたおかげで、クラスの誰よりも勉強ができる状態になっていた。それも自信がついた大きな理由だと思う。

ハッキリ言って、完全に忘れていたぐらい、なんてことのない日常の話だった。言ってしまえば、お隣のお姉ちゃんと遊んでもらっていただけの話。しかし、そこでの経験が、今わたしが振り返って、なぜ「しあわせに生きられているのか」という源になっているかもしれないという話。

そこで思い直したのが、私が親として、自分の子供たちにもそういった経験をさせてあげたいな。ということ。つい気がつけば、ダメなところを怒ったり、してほしくないことをされてイラッとしたり。そんなことの方が多くなってしまう。オンラインで仕事をすることが増えて、いつも自宅のオフィスにこもって会議していて、そこに子供がグズって入ってくると邪険にしてしまうことも少なくない。よくないなーと。

私の小さかった頃に、O谷のお姉ちゃんたちがしてくれたように、無条件で認め、関わり、褒めてくれていたような経験を子供達にもさせてあげたい。小さな時は一瞬で過ぎ去ってしまう。無意識だと、ほんとあっという間なんだと思う。だからこそ、今回のことを思い出したからこそ、かけがえのない彼女たちの幼少期にしたいな、と思います。

なぜ、私がしあわせでいられるのか。なんで根底には自信があるのか。
それが、幼少期のほんのちょっとした経験からつくられていたこと。
そんなお話でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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