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自分に何ができるのか分からなかった。だからただ逃げるように写真を撮り続けた過去。

2013年に会社員を辞めて独立した。
それまではコンサルタントと呼べばカッコいいが、していることは要するに営業。
 
そこから急に、テレビの撮影現場でのマネージャーのような役割になり、まったく業界の常識とか分からないまま現場に放り込まれた。目隠しをして手探りで、なんとか仕事をしているような状態が2年ほど続いた。
今だから言えるけど、
 
ハッキリ言って、怖かった。
 
何もできない自分。
何か間違いを犯すかもしれない自分。
役に立たないと思われるんじゃないか。
 
そんな恐ればかり。
 
これまではあまり言ってこなかったけど
正直、そんな気持ちだった。
 
 
できることなら逃げ出したかった。
それが心の奥にあった本音。
 
でも、逃げることもできずにとにかくその場にいる意味、、、

いや正確にいうと”居てもいい意味”を見つけたくて
ただひたすらに写真を撮っていた。

なぜかと言うと、
 
大きめなカメラを持っていれば、
とりあえずは仕事をしているような雰囲気は出せる。
 
それが、当時の私にとってはとても重要だった。
今思えば、なんて意味のない心持ちなんだーと笑えてもくるけど、当時の自分からすると必死だったゆえに見出した道だ。
 
とにかく何かできることが欲しい。
その一心。
 
 
2014年から2016年までの2年間。
撮った写真は、50000枚以上。
いろんな構図で、
いろんな場面で
あーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら撮影してきた。
 
それが、結果的に
のちの人生に活きてくることになるなんていうのは全く思ってもいなかった。ただ役割が欲しくて、ひたすらに撮っていた。
 
そりゃそうだ。
だって、逃げでカメラを握っていたんだから。
お守りのように抱えていた。
どこに行くにも、とにかくカメラさえ持っていれば。

そんな情けない私。
 
 
そして時は経ち、
この期間にカメラを構えて考え続けたことが
のちに2019年に公開されるNetflixでのテレビ番組をつくる際に劇的に活かされることになる。
 
どうすれば片づけ現場が見えやすく映るのか
どうすれば、麻理恵さんを美しく表現できるのか
どの角度が良いのか
邪魔にならない距離感は
 
など。
 
どれもこれも、この2年間で培ったものだ。
逃げだったはずのカメラが、
いつしか自分の強みに代わっていた。
 
さらに、
この期間に撮影していた写真が、
トンデモないBigな媒体で使われていたりもする。
 
New York Times
ウォール・ストリートジャーナル
ハフィントンポストなど。
 
極め付けは、インターナショナルウーマンズデーに企画された、Appleの広告にまで起用されることになる。
しかも、余談ながらこれはiPhoneでサクッと撮影した何でもない日常の写真。
 
これも、写真を撮り続けていたから生まれた奇跡。
 
長くなったが、こんな風に
キッカケは居場所を作りたくて
逃げな気持ちで始めたカメラだが
その後の人生でとても大きな意味を持つものになったりもする。
 
人生とは分からないものだ。
 
つまり何が言いたいのかというと、
もし今、仮にあなたがしていることが
自分としては前向きに楽しめていなかったり
後ろめたいような気持ちがあるようなことだったとしても、それはいつか、未来に意味が生まれることもある。

 
なので、大事なのはどんな場面でも
一生懸命にやっておくこと。
 
そうすれば、その経験は自分の糧になり
できることが増え、いつか役に立つ時がくるかもしれない。
必ずとは言えないけど、私にはそんなこともあったりした。
 
なんか、ふと昔の写真を振り返る機会があって
昔の気持ちを思い出したので書いてみました。
 
 
誰かの、
何かの役に立てたら嬉しいです。

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