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【42】いつか、笑って話せるようになる日が来るさ。

僕の人生は失敗ばかりだ。大学は志望校に行けなかったし、女の子にも何回も振られたし、いろんな面接を受けては落とされた。

そんな僕の、人生で初めて経験した一番大きな失敗がこれだった。

高校入試で、気絶した。人生で気絶を経験したのは今のところあとにも先にもその時だけだ。

あれは僕が第一志望の高校を受験していたときの話。もうすぐ入試!っていうときに過去問の成績が伸びて、合格圏内に入ることができていた。

祈るような気持ちで一限目の国語を解いていた。超がつくほどの文系人間な僕は、国語が頼みの綱だった。そんなさなかに事件は起こってしまった。

解いている最中、急に目の前が真っ白になった。あれ?と思っているうちに頭をいつもの位置に保つことができなくなって、やばいと思った僕は反射的に手を上げて、具合が悪いから外に出たいと監督の先生に伝えた。

最後に覚えているのは、扉を開ける寸前のところ。取っ手に手をかけて崩れ落ちたところまでは覚えているけど、目が覚めたら保健室にいた。

目を覚ますと、「その眼鏡かっこいいね」と、フレームだけエメラルドグリーンだった僕の眼鏡を保健室の先生が褒めてくれていた。でも、その次に突きつけられた言葉で、眼鏡なんかどうでも良くなった。

「県の規定で、もう国語のテストは終わっちゃってるから受け直せないの。」

あぁもう終わったなと思った。これはもう落ちたと思って残りのテストを受けた。もちろん落ちた。合格発表は母親が見に行って、僕は行かなかった。結果は分かっていたから。一番得意だった教科を逃したのだから。

そんなこんなで僕は滑り止めの高校に入学した。あれはあれで楽しい思い出だった。

そして僕は今の大学に入学した。今では僕の大好きな場所の一つになった。たくさんの得難い友人に恵まれた。

そして僕はカンボジアに行って、児童買春防止のための活動に携わることになった。あれだけ必死こいた思い出はなかなかないと思う。

そして僕はイスタンブールに留学した。冬休みにはヒッチハイクで旅行しまくって、たくさんの人から優しさをもらって、たくさんの国を見て回ってきた。人生で何物にも変え難い思い出の一つだ。

そして僕はケニアに来た。ここで知り合った保健ソーシャルワーカーの現地パートナーと、手探りな中でクラファンを始めた。人生で一番きつい期間だったけど、彼のような人がいると知れたこと、これからの自分のなりたい姿が見えたことは大きな財産だ。

全部、僕があのとき、あの教室で、気絶していなかったら起こらなかったことだ。僕は今でも、後日学校で先生に言われたことを覚えている。

「いつか、笑って話せるようになる日が来るさ。」

今はもう、満面の笑みで「あのとき気絶してよかったです、先生」と言える。人生はいつだって自分次第。過去の失敗を成功にだって変えることができる。

正直今は苦しい。手探りな中で真っ暗な道を歩いているみたいな苦しさ。日本に帰ってもそれは続くと思う。でも、いつか明るく照らされて、この道を選んでよかったと思える日が来ると、あの日寒さの沁みる武道館で言われた言葉を何度も何度も反芻して自分に言い聞かせる。

いつか、笑って話せるようになる日が来るさ。

10年後の今日、僕は今の僕に何を思っているだろう。

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