熊谷拓己

世界に恋する人

熊谷拓己

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マガジン

  • イキりnote

    イキったビジネス系

  • ムファンガノの日々

    ケニアで過ごす大学生の心境をつらつらと綴っています。辛いことも楽しいことも、正直に頑張って書くようにしてます。感想など寄せてくれると嬉ションです。

  • 恩送りで行こう。ヨーロッパヒッチハイクの旅!

    2018年12月26日から2019年2月4日。5616㎞。63台。パリからイスタンブールまでヒッチハイクのみで13か国を旅した大学生の旅行記。もらったたくさんの恩を、たくさんの人に渡せるように。

  • 熊谷拓己のクラウドファンディング奮闘記

    3月5日まで行われるケニア・ムファンガノ島でのHIV予防・テスト促進のためのクラウドファンディングの死闘の記録。なんとか目標達成したいおっさんみたいな大学生がいろいろ考えながら書いています。

  • Voice of the Fields

    現地で頑張る、現地の人の声を届けたいという気持ちから始まったインタビューの裏側をお届け。感じた難しさや葛藤、感想をつらつら書いていきます!

最近の記事

  • 固定された記事

お世話になったすべての人たちへ。

3月19日、僕は大学を卒業した。 卒業式が終わった後、お世話になったキウイ農園のある掛川に向かって、東京の家の入居日まで時間があったから、2日ほど泊まった。今朝農園を出て、今日から僕は東京に住む。 いつもそうしていたように、僕は学割を使って在来線で掛川から東京まで向かおうとした。予想外だったのは、10枚近く発行した学校をすっかり実家に置き忘れてしまっていたことと、「電車信号の不調で、在来線が大幅に遅れています」のアナウンスだった。 そのまま普通に在来線に乗ったら、不動産

    • 鈍いルビー

      「熊谷さん、いつも難しく考えすぎですよ。もっとシンプルに、わかりやすく考えてください。これだと何を伝えたいかわからないじゃないですか。」 ああ、まただ。自分だとそんなつもりはないのに。よく、上司にこう言われる。僕にはどうやら難しく色々と考えてしまう癖があるらしい。どうやって直したものか。もっとシンプルに。 26年も、なんていったら世の中の大半の人に笑われるかもしれないが、それなりの歳を生きていると、手元に色々増えているものだ。小さいと思って拾った石ころがいつの間にか巨大な

      • 覚悟と焼き鳥

        2022年10月19日、きっと何かができると自分を信じてやまなかった僕は、この国に一抹の不安と、希望を持って足を踏み入れた。 2023年10月15日、4日後に帰国を控えた僕は、自分が残せたものは何だったのだろうと、やりきった気持ち半分、やり残した気持ち半分で、もう少しで去る自分の部屋を掃除して、帰国の準備をしている。 もう少しで帰国する僕の送別会(といっても3ヶ月後にはまたここに戻ってきているのだけれど)を日本人職員のみなさんが開いてくれて、焼鳥が美味しいと評判の店にみん

        • 感謝

          人は最後、死期を悟った時に何を想うのだろうか。 僕は全く知らなかったが、祖父は8月頃くらいから体調がだいぶ芳しくなかったらしく、ここ何週間は入院していたそうだ。 入院中、家や叔母さんに電話をかけていたらしい。何度も何度も。その話を初めて聞いた時、僕には少し不思議に思えた。祖父は、いつも物静かで一日中ずっとテレビを見ていて、口数も少なかった。 試しに口を開いたとしても、いつもお酒を飲んでいて酔っていたのと、声もしゃがれていて何を言っているか理解するのに苦労した。だから、何

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        お世話になったすべての人たちへ。

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        記事

          幸せの基準

          「自己評価、低くない?」 期末の評価面談、直属の上司からそう言われた。うちの会社は自分で評価を出すのだが、これではせっかく頑張っていて結果も出ているのにその姿勢が正当に評価されないよ、と。 確かに、思い返してみれば僕は自己評価が低い、というか、自分が立てている目標が高いのと、そこに一足飛びに辿り着こうとする思考が強い気がする。「いや、そこまで早く結論って出るもんじゃないよ。まずはしっかり現状を把握してから。答えを一気に求めに行かないこと。」と、データ分析を始めた頃、フィー

          幸せの基準

          羅針盤

          早いもので、もう社会人3年目に突入しようとしています。みなさんはこの一年、どんな変化があったでしょうか。 僕はというと、和歌山からミャンマーに移り住みました。だいたいこの説明をすると「え?何?ミャンマー?何言ってるかよくわかんないんだけど?」みたいな反応を両親も含め関係各所からいただいておりました。突拍子もなく訳のわからないところに行くのは、僕としては定番のムーブなので、いい加減慣れてくれやと辟易しています。 人が変われば環境も変わるとよく言いますが、良くも悪くもこの言葉

          なぜ異文化コミュニケーションは難しいのか①

          「外国人とコミュニケーションを取るために、英語を話せるようになりたい。アメリカの映画で俳優が話すように、カッコよく英語を話して、色々な国の文化を知りたい。」 中学生のときから英語がなまじ得意だった僕は、そんな憧れを持って特に英語の勉強には熱心に取り組みました。それから26歳に至るまで、この憧れとは真逆に英語を母語としない国を転々としてきましたが、英語を話せるようになること=外国人(異なる文化圏の人々)と意思疎通ができるようになるではなく、あくまでその一部であると気づきました

          なぜ異文化コミュニケーションは難しいのか①

          としをとる

          5年。最後に僕がカンボジアに行ったのは、2018年の3月。今日は2023年4月13日。僕は今日、26歳になって、プノンペンに5年ぶりに来た。 ミャンマーにいるせいか、やたらプノンペンが都会に見える。最後に来たときよりも、バイパスの数や、大型ディスプレイの数、背の高い建物が増えたような気がする。道や建物も小綺麗になったような。 プノンペンに住んでいる友達に会いに行くのと、たくさん思い出のある通りをもう一度歩きたい、カンボジアに立ち寄ったのはその2つだけが目的で、一日だけ宿泊

          としをとる

          適応力の正体

          2023年も4月を迎え、自分の社会人生活も3年目に突入しました。あっという間です。3年目というのは、深すぎず浅すぎず、社会の構造、ビジネスの仕組み、学生のときにはふわふわしていたものたちの解像度が高まりだし、イキり出す、そんな年ではないかと思います。 ご多分に漏れずイキり散らかしていた僕は、同期と「自分の強みってなんだろう」という話をしていました。3年目に差し掛かり、自分が社会に提供できる価値とは何だろうか。他の社会人にはない、選ばれる理由は何だろうか、と。 すると、同期

          適応力の正体

          僕たちは世界を変えることができない

          「僕たちは世界を変えることができない」をたまたまNetflixで見かけて、飛ばし飛ばしで少し見返した。 大学で国際協力サークルに入っていた時、カンボジアに行く者の必須項目のような扱いで、先輩に紹介され、みんなで見た記憶がある。感想のようなものを書いたような、書いていないような。いい感じに先輩が最後、まとめてくれたような、くれていないような。あの映画に込められたメッセージも、その時の自分が見て何を想ったのかも、先輩が僕たちに抱いて欲しかったであろう気持ちも、もう何一つ覚えては

          僕たちは世界を変えることができない

          下の名前

          最近、同級生がどんどん結婚していくようになった。 それもそうだろう。僕はもう25歳で、あと1ヶ月もすれば26歳になる。こないだまで新社会人だと思っていたのに、あっという間にもう中堅社員くらいの年になってしまった。 友人の祝いの門出は誰から聞いても嬉しかった。まだ何処か遠くに見えていたはずのものが、気づけばもう目の前にあってもおかしくないことに気がついた。 羨ましいとは思うけれど、不思議と焦りは出てこなかった。もともとそういう性格だし、何より純粋に仲のいい友達が幸せな瞬間

          下の名前

          つぶやき

          帰る時を想像すると悲しくなるけど、帰ったら会える人たちの顔を想像すると幸せな気持ちになる。 幸せの裏には、一時の出会いでは分かり合えないもどかしさとか、国の違いとか、どうしようもない気持ちがある。 だけど、新しく故郷が増えたと胸を張って言えること、きっとそれを受け入れてくれる人たちがいると胸を張って言えること、いつでも帰れば温かく迎えてくれる誰かがいること。 悲喜交々たくさんこれからきっとあると思う。だけど、どうしようもない困難を共有しきれない悲しさよりも、明るくなった

          ゴールデンウィーク

          社会人になって2度目のゴールデンウィーク。僕は有給をつなげて、10連休にして、地元と、大学のある静岡に2日間だけ滞在した。 1年、2年ぶりに会う友達もいれば、数カ月ぶりに会う友達もいた。静岡には2ヶ月前に足を運んだばかりだったので、あまり懐かしいとは思わなかったけれど、一緒に同じ時間を過ごした友達と、先のことを考えずに並んで歩く風景は、懐かしさを添えるのには十分だった。 モラトリアムが終わって、戻らない時間を羨ましく想う会話を交わすことも増えた。仕事が大変だったり、辛いと

          ゴールデンウィーク

          25歳の誕生日

          今年の4月13日、25歳になりました。 世の中的にアラサーと呼ばれる歳になることを職場の同僚から言われて初めて気づき、もうそんな歳かと思い、でも、これからもそんなに変わらない毎日をこれからも過ごすんだろうなと思い、思ったとおりに特にいつもと変わらない毎日を過ごしています。 だけれど、24歳のときの自分と、25歳の自分を比べると、それはそれはもう、同年代の誰よりも濃密な経験をしてきたんじゃないかと思っています。変化とは、淡い色を重ねるように徐々に徐々に起こるものなのかもしれ

          25歳の誕生日

          お年玉

          お正月、帰省をした。 思えば、実家で正月を迎えるのは3年ぶりだった。3年前はヒッチハイク中で、南フランスの小さな町で年越しをしたし、2年前はケニアで年越し、そして去年は静岡で新年を迎えた。 年内で追われなかった仕事を心の奥に押し込んで、僕は東京行きの飛行機と、仙台行きの新幹線に乗り込んだ。和歌山遠しと言えども、大体3時間もあればあれほど離れていてもついてしまうのが驚きだった。 お正月、もう学生ではなくなった僕はまだ学生の妹と、いとこと、ばあちゃんとじいちゃんと、父母にお

          残る2割

          最近、毎週金曜日の夜に友達に電話をするのが習慣になってきている。大体、僕のことを知っている人は「そんなに忙しくて大丈夫なの?」とみんな口を揃えて言う。けれど、僕はみんなが思っているより今のところ平気だし、自分で思うよりもおそらく僕のメンタルはタフなのかなと思う。 思い出話に花を咲かせたり、近況を報告しあったりして、あっという間に時間は過ぎる。少し前まで日常だったこの時間は、気がつけば新しい日常に覆い隠されてしまっていて、どうしたって戻らない時間を惜しむような気持ちと、これか