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としをとる

5年。最後に僕がカンボジアに行ったのは、2018年の3月。今日は2023年4月13日。僕は今日、26歳になって、プノンペンに5年ぶりに来た。

ミャンマーにいるせいか、やたらプノンペンが都会に見える。最後に来たときよりも、バイパスの数や、大型ディスプレイの数、背の高い建物が増えたような気がする。道や建物も小綺麗になったような。

プノンペンに住んでいる友達に会いに行くのと、たくさん思い出のある通りをもう一度歩きたい、カンボジアに立ち寄ったのはその2つだけが目的で、一日だけ宿泊してすぐに隣のベトナムに向かった。

泊まっていたホテルも、みんなでぞろぞろ入って作業をしていたカフェも、もう無くなっていた。僕が年をとっていって皺を重ねたり、白髪が増えていくのと同じように、この街もどんどん姿を変えていくのだと思う。

学生の時、いろいろな国を回った。お金はなくても時間だけはあふれるようにあったから、google mapにピンを立てて有名な観光地はすべて虱潰しに回るように旅行をしていた。

そんな旅行の仕方を続けていると、どこかのタイミングで飽きが来た。正直、教会もお寺も、おおよそ遺産と呼ばれるものはもなんとなく同じように見えて、ただスマホに誰でも撮れるような写真を納める無味乾燥としたものになってしまった。

ただ、本当に心の琴線に触れるものが何なのかもわかってきた。雄大な自然を見ること。その地域の人達や、同じように旅行をしている人と一緒に御飯を食べて、話すこと。戦争や虐殺の負の歴史に触れること。

次にまたカンボジアに来るとき、街の風景は僕が知っているものとは全く違うものになっているだろう。もっと大きなビルがきっとたくさん建てられて、めちゃくちゃな電柱の配線にも秩序がもたらされて、3人も4人もバイクに乗って人が行き交うあの光景は、もう見れなくなっているかもしれない。それは、僕がいつまでも若い姿でいられないのと同じように。成熟して、たくさんのことを経験して、価値観が変わっていくのと同じように。

大切なものなんて山のようにあるから、本当に大切なものを選び取って前に進んでいかないといけない。その殆どは、寂しさや虚しさを感じることなく、環境に合わせて自分に必要なものを自動的に、無意識に選び取っていくモノクロじみたもので、人から言われて初めて気づいたり、昔の写真を見返して気づくものなのだと、26歳になって思う。

お前、変わったなと言われることもこれからあるかも知れない。僕がプノンペンに対して思ったのと同じように。だけれど、今、ベトナムの山奥で霞のかかった山陵をのんびり眺めている時間や、異国の人たちと夜遅くまで話し合う瞬間は、何も考えず観光地をひたすら回っていた頃よりも、どうしようもなく心地が良い。

誰も彼も、どんな場所も、何かを捨てては拾い、後戻りのできない寂しさを感じることもないまま変わっていって、大切なものを見つけていく。でもきっとそれで良いのだと思う。昔を懐かしむ時間はgoogle photoに預けて、今の僕は今の僕なりに、自分の価値観をころころ転がしていきたい。

ピンを建てたままで行けなかった観光地がある。だけれど僕は、3日間一緒に時間を過ごしたベルギー人とオランダ人のカップルと、ベトナム人のホテルのオーナーにお礼を言いたくて、彼らが来るのを待っている。今の僕には、これが一番心地の良い時間の使い方だから。

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