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キャッチボールが教えてくれたこと。

パーソナルトレーナーのたくみです。
春は出会いと別れの季節ではありますが、
私にもひとつ節目がありました。

こういう場面に直面すると話せること、
触れ合えること、切磋琢磨したり
当たり前に近くにいること、
遊ぶときに誘いたくなることや
喜ぶ顔が思い浮かぶことなど

いかに当たり前のようなことが
幸せだったかを痛感します。
決して当たり前のことなどない。

自分が相手に喜んで欲しいとか
応援していたり、愛を伝えたとしても
自分の伝え方・伝わり方が正しいのかは
知るよしはありません。

ですがもし、何か相手に届き伝わるものが
あるというのならそれは
「相手が受け取ろうとしてくれた」という
事実にもう嬉しさが溢れてしまいます。

これって、キャッチボールに似てて
もし自分が160km/hのボールを投げれても
相手が取れないなら怪我をさせてしまう。
もし届くほど投げられないのなら、
近くに歩み寄っていけばいい。

だって目的は強い速いボールを投げる、
ではなくて「相手とのキャッチボール」
したいから。届いて欲しい、受け取りたい、
その繰り返しが続いていけばいいなと
この春に遠くへ行ってしまう知人と初めて
一緒に遊んだときにキャッチボールをした
思い出のまちで思い浮かべました。

またキャッチボールもしましょう。

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