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自分とつながり自分を癒し、救うこと

今、旅をしています。

旅先で最後の最後に頼ることが出来るのは自分だけ。旅を通じてしか出会うことが出来ない景色や人との出会いに心を震わせながら、そして常に起きるトラブルと付き合いながら生きています。

重いバックパックを背負いながら歩いて移動する時間は、いろんなものが自分の背中と身体に託されている感じがして、「ああ、生きているなあ」と感じます。


テントも入っているからめちゃ重い


旅をしているとそれはそれはいろんなことが起きて、楽しいことや喜びだけでなく、辛いこと、苦しいこと、傷つくこともたくさんです。


旅をしている今しか書けない文章があると思って、これからできるだけ無理のない範囲で書いていきます。

第一回目の今回は僕のテーマど真ん中(?)に関することを書きますね。



まず、この記事で僕は「逃げてもいいんだよ~」と自分にもみんなにも伝えたつもりです。ですが、今回は現実で直面している大きく高い壁に対して「逃げずに立ち向かう、向き合う」僕なりの術を、在り方をお伝えできたらいいなと思っています。

なので、すこし矛盾したことを書きます。




逃げずに留まってみること


生きていると、自分の状態や思いに関係なく、”嫌なこと”はやってきます。
嫌なことを言ってくる人はいるし、社会や自然は思いがけず災難を届けにやってきて、自分の心や身体は思ったように動いてくれない。


そんな中、僕も嫌いな人が出来たり、社会を憎んだり、自己嫌悪に陥ったことがあります。たくさんたくさん苦しみました。けれど、そんな中で、僕は自分の中に嫌いな人や嫌な人をつくらず、社会を憎まないことに挑戦してみたいのです自分の心の傷つきや痛みから避けずに、見ないふりをせずに、とことん味わって感じて、生きてみたいのです。


僕は嫌なことや辛いこと、しんどいことから逃げない人でも在りたいと思っています。
(今の僕がこう思えているのは自分の状態や状況、心がある程度余裕が出来てきたことも影響しているように思います。信頼する仲間がいて、会うと、話すと癒し安心できる大切な人がいること、困ったときに頼れる人や行ける場所が出来てきたからな気もします。)


書きながら、なんて大変なことに挑もうとしているのだろうと自分でも思います。けれど、思ってしまった、感じてしまったからには仕方ない。

自分のことを貶めたい人、傷つけたい人、嫌いな人はきっとこれまでもこれからも現れるでしょう。自分にとって嫌なことや傷つくことを言ってくる人はいるでしょう。それでも他者を、相手を”許す”ことに挑んでみたいのです。すべてのことに学びがあり、大切なことを教えてくれていると思うから。

”嫌なこと”や”嫌な人”はきっと自分が見たくない自分と出会う扉であると思う。
それに、実体験を伴う失敗ややらかしには豊かな学びが隠されている。とても苦しいのだけれど、一緒に歩いていこう。


敵対構造をつくらない。対立構造をつくらない。敵をつくらない。


敵や対立が生まれるのであれば、その中に留まってみる。共に存在してみる。手を取り合う方法がないか本気で模索してみる。敵や対立の”本当の願い”にふれて、気づいていく。




現実に生きる


僕は本をたくさん読みます。哲学が好きで、観念的なことや思想的なことばかり考える癖があります。

でもね、僕は現実に起きることを、現場で起きることから乖離した理想論に逃げたくない。まず、僕が現実で日々生きる中で、どうしようもないこと、嫌なこと、痛いことと向き合い続ける。(たまに逃げたり、立ち止まったりもする!)




自分とつながり自分を救う


自分は大丈夫という感覚、他者依存ではなく、自分の足で立つこと、自分で呼吸すること。自分のことを本当の意味で救うことが出来るのは、自分だけとどこかで読みました。これは、僕の実感とも合っている。

とても苦しいことかもしれないけれど、それと同時に大きな希望でもあると思います。


自分には自分のことを救う力がある、癒す力がある。誰かに依存したまま、頼り続けるのではなく、最後には自分の足で立つことが出来る。呼吸することが出来る。

誰にだって変わることのできる内なる力が秘められている。

人や自然はそのきっかけに過ぎないのかもしれません。

小さく小さく変わりながら、自分を愛することができたならきっと。


このテーマは奥が深くて深くて。捉えどころがなくて。これからも向き合い、感じて考えながら、また書きますね。

上を向いて、前を向いて、大きくすってーはいてー、深呼吸!今日も一日おつかれさま。



ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!