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せっかくだから俺はこのコメントについて考えてみるぜ!

先日投稿した『41歳の東大生』に関する記事に対して「侵害情報の通知書 兼 送信防止措置に関する照会書」を受け取りました。いわく、記事末尾のコメントのスクリーンショットにより精神的苦痛を被ったという主張です。侵害された(と主張される)権利が「誹謗中傷・名誉棄損・脅迫」となっており、いずれにもあてはまらないとは思いましたが、被害者を自称する方のメンツもあるでしょうから、スクリーンショットのうちアイコンと名前を黒塗りにしました。

自分自身、この記事でどのような投稿をしていたのかほとんど忘れておりましたが、コメントを見返すきっかけになりましたので、せっかくということでいただいたコメントについて少し考えてみたいと思います。

……人の5倍は税金も納めましたし、自分の為だけに好きに勉強させてもらいたいというプランをたてています笑
ところで、なんで医学部やローの再受験なら許せるんですか?僕も医学部とローのどちらもやるつもりでいますが、医者にも弁護士にもなるつもりは無いです。ただ自分の興味のままに勉強したいだけなので…。つまり、おっしゃるとおり、リスキリングでもリカレントでもなんでもなく、僕はただ学問がしたいのです。そういう人もいるんですね世の中のは(原文ママ)。
社会人なら持ちつ持たれつ、わかります。当然ですね。でもきっとこの方も学問をしながら立派に社会に貢献なさっていると思います。子供も二人でしたか?ご立派です。私も早く子どもたちの教育資金を貯めて、自分の為だけに勉強する大学生になって、その背中を子どもたちに見せたいなと思います。

『41歳の東大生』の記事にもらったコメントの抜粋

私には到底届かない、人の5倍は税金を納められるほどの収入や社会的地位をうかがわせるものであり、またとても素晴らしいコメントであったため、私は「がんばってください。陰ながら応援しております。」とだけ返答しました。コメントが削除されたことは残念です。

さて、ここで考えたいのは大まかには、

  • なんのために勉強するのか?

  • なんのために大学に入学(ないし再受験)するのか?

ということです。
医師国家試験を受験するためには医学部医学科の卒業が必要だし、司法試験を受験するためには法学部や法科大学院で勉強しておいた方がいいと思われます(法科大学院ではなく予備試験という道もあるが)。基本的にはこれらの有資格者は無制限に供給されるものではなく、国として供給過多/過少にならないように調整されています。実際に、大学や学部の新設には制限があるし、試験の合格者は設定されたボーダー以上の点数を取るだけで決まるのではなく、相対評価による調整が入ります(相対評価がどのくらい機能しているのかは不明)。
私は大学再受験自体にあまり賛同しておりませんが、しいていえば医学部等の資格を活かした職業につくことが想定されるところであればまだマシかなと考えています。そして資格を活用する進路に進むのであればまあいいだろうという感覚です。実際には資格や知識をまったく活用しない職業や専業主婦などの進路もあるわけですが、これらは資格を活用する方が作る余白のおかげで存在を許されているという理解です。例えるなら、余白で生きる方は生活保護受給者のようなものであり、そこに意図的にいることは推奨されるものではないと考えています。

ただ勉強したい、学位がほしいとか、資格を活用しないというのは本人の自由であることは承知するものの、それを公言することに対して社会ないし人々の期待に唾を吐かれているような嫌悪感を私は抱いています。単に勉強するだけであれば本屋で教材を購入することや市民講座などで、(研究の技術や臨床現場のあれこれなどは身につきませんが)知識であればある程度得ることは理論的には可能です。大学に限らず教育機関で教育を受ける人には少なからず税金が投じられていることを考慮すると、特に資格に結び付く学部を選ぶのであればやはりなんらかの形で還元しようという意志は見せてほしいところです。人の5倍も税金を納めているのであればもしかしたら自分が納めた税金で自分が大学に通う際に使われている税金分を補填できているのかもしれませんが、実際の税金は薄まって全国にまわっているから、自分のお金は自分でなんとかしていると思っているとしたらそれは幻想です。

「リスキリングでもリカレントでもなんでもなく、僕はただ学問がしたい」という意識の高さには感服しております。しかし「ただ学問をしたい」「自分の為だけに勉強する」のであれば大学以外の選択肢もあるのではないか、というのが私の疑問です。

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