Takuma Omori -歴史をメモする-

歴史が好き。史蹟・博物館などを訪れたり、書籍・記事で読んだこと、学んだことを自分のメモ…

Takuma Omori -歴史をメモする-

歴史が好き。史蹟・博物館などを訪れたり、書籍・記事で読んだこと、学んだことを自分のメモとしてまとめています。

最近の記事

田園調布と渋沢栄一

東急東横線 田園調布駅の復元駅舎です。 田園調布駅は大正12年(1923)に開業。平成2年(1990)に同駅地下化により解体されるまで70年近く、田園調布のシンボルとして街を見守り続けてきました。 聖徳記念絵画館、川奈ホテルなどの建築に携わった矢部金太郎が設計し、平成12年(2000)に復元されました。地元の強い要望があったといいます。 興味のある方はぜひ、解体前の駅舎の画像を検索してみてください。外観、壁や屋根の色なども当時と変わらず、忠実に再現されていることがよくわ

    • 再生

      佐賀県上峰町ショートムービー アニメ「鎮西八郎為朝」

      YouTubeで動画をみている途中で流されるCMはもどかしい限りですが、このショートムービーが流れてきたときは、元々の動画そっちのけで見入ってしまいました。 このショートムービーは佐賀県上峰町がロックバンド「ユニコーン」の協力を得て、2020年12月に作成されたものです。 「鎮西八郎為朝」こと源為朝は平安時代後期の武将。源為義の子、源義朝の弟。その子である源頼朝、源義経にとっては叔父にあたります。 13歳の時、父親に勘当されて九州に追放。九州では「鎮西総追捕使」を名乗って暴れまわり、3年で九州を平定したといいます。 保元の乱では父親とともに崇徳上皇を味方し、後白河天皇についた兄・義朝と戦います。その戦で敗れた為朝は伊豆大島への流刑に処されると、今度は伊豆七島を支配。武勇伝には枚挙にいとまがありません。 上峰町には為朝が城を築いた「鎮西山」、5万の軍勢を打ち破ったという「五万ヶ池」などゆかりの地が多く、数々の伝説が残されています。 こうした武勇伝だけではなく、為朝の「人間味あふれる温かさ・優しさ」も含めて伝えるためにショートムービーを作成したそうです。 このショートムービーを見るまで、私は為朝の名前も聞いたことがありませんでした。この機会に彼のことをより深く知ってみたいと思います。 参考記事:佐賀県上峰町、鎮西山の伝説「鎮西八郎為朝」が今アニメに!ユニコーン×Production I.Gのタッグによるムービーが解禁!! https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002680.000016356.html

      • [日本橋]日本橋三越本店のパイプオルガン

        日本橋三越本店を初訪問しました。 大正3年(1914)に建てられた本館は関東大震災で焼失したものの、増改築を繰り返しながら昭和10年(1935)に完成。東京大空襲をくぐり抜け、現在に至ります。 ルネサンス様式の建物は、近代的なビルが建ち並ぶ日本橋の町並みの中でも存在感を放っています。2016年7月には国の重要文化財に指定されました。 正面入口には大正3年から鎮座する二頭のライオン像、中央ホールでは巨大な天女像(昭和35年/1960)がお客様を出迎えてくれます。 中央ホ

        • [日本橋]200年前の江戸の町並みを描いた絵巻

          東京メトロ 三越前駅のコンコースで見つけた絵巻の複製です。 タイトルは「熈代勝覧(きだいしょうらん)」。 十一代将軍・徳川家斉が治めていた文化2年(1805年)頃の日本橋から今川橋までの大通りの町並みが描かれています。 作者は不明ですが、題字は江戸後期の著名な書家・佐野東洲によるもの。原画はベルリン国立アジア美術館に所蔵されているそうです。 様々なお店が軒を連ね、多くの人々が通りを行き交う様子は、日本橋が江戸の商業の中心地であったことを教えてくれます。 中には姿かた

          [横浜]明治時代に建てられた開通合名会社の煉瓦遺構

          先月半ば、春節の雰囲気を味わいに中華街へ行ってきました。 その帰り道、開港記念会館に向かって本町通りを歩いていると、交差点の向こう側に古い煉瓦の壁を発見。近づいてみると、L字型の壁2面だけが残り、鉄骨で補強工事が施されていました。 説明によると、明治時代に建てられた開通合名会社の社屋の一部だそうです。関東大震災(大正12年)に建物のほとんどが崩壊したものの、復興した建物の内部にのこされていたとのこと。 開通合名会社とは旧居留地の日本人街で通関業務に携わっていた会社だそう

          [横浜]明治時代に建てられた開通合名会社の煉瓦遺構

          砲術のスペシャリスト、高島秋帆[青天を衝け学習メモ]

          NHK大河ドラマ「青天を衝け」、いよいよ始まりましたね。 主人公、吉沢亮が演じる渋沢栄一については、「500以上の企業経営に関わり、600以上の公共事業に携わった」といった基本的な情報しかわかりません。 ドラマの中で気になった人物、出来事について調べたことをメモがわりに記すことで、渋沢栄一に対する理解を深めていきたいと思います。 第1話は高島秋帆です。 ある日、罪人として籠に入れられ岡部藩に送られてきた秋帆を栄一は目撃します。栄一は友人たちと夜中に牢の敷地へと忍び込み

          砲術のスペシャリスト、高島秋帆[青天を衝け学習メモ]

          井伊家ゆかりの古刹、豪徳寺を訪問

          昨年末、東京都世田谷区にある豪徳寺を参拝しました。 安政の大獄で知られている江戸幕府の大老、井伊直弼の墓所として知られている豪徳寺ですが、彦根藩主井伊家の菩提寺として歴代藩主が眠っています。 寛永10年(1633年)に世田谷一帯の村々を領有することとなった井伊家によって整備されました。 二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの際、住職の愛猫に招き入れられて落雷を避けることができたという逸話が残されており、「招き猫」発祥の地と呼ばれています(諸説あります)。 2017年に放送された

          井伊家ゆかりの古刹、豪徳寺を訪問

          170年前の多摩川を描いた絵巻、「調布玉川絵図」の壁画

          通院している日本医科大学武蔵小杉病院に飾られている壁画です。 江戸時代末期、弘化2年(1845年)に発行。玉川(現在の多摩川)の水源から河口まで120kmに及ぶ沿岸の様子が描かれています。 武蔵国多摩郡関戸村の名主・相沢伴主がスケッチしたものを絵師・長谷川雪堤が一巻の絵図にまとめたものだそうです。この壁画は有田焼の染付陶板画です。 写真手前が現在の東京、奥が神奈川です。上丸子、二子からは船が行き交う様子が描かれています。これは両岸をつなぐ渡し舟で、それぞれ「丸子の渡し」

          170年前の多摩川を描いた絵巻、「調布玉川絵図」の壁画

          「光秀の選択」 鈴木輝一郎著【読書記録】

          NHK大河ドラマ「麒麟がくる」もついに2月7日で最終回。そんなタイミングで読んだのが、「光秀の選択」という歴史小説です(図書館で借りました)。 「本能寺の変」の10年前。織田か、足利が。自由か、安定か。牢人上がり、一世一代の大博打。足利義昭上洛(1568)から槙島城の戦い(1573)へ―信長と光秀の迷走と決断! (Amazon紹介文) 足利義昭と織田信長の双方に仕える明智光秀が、ふたりの争いに翻弄されながら走り回る。いくつもの決断に迫られながら一国の城主へと上り詰めて

          「光秀の選択」 鈴木輝一郎著【読書記録】