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カービィやマリオはよくしぬけど自責他責なんて言わない。〜自責思考が世界を不幸にする〜

自責・・・ミスの原因を自分とする考え方。
他責・・・ミスの原因を自分以外とする考え方。

ビジネスシーンでよく聞く言葉です。

「他責はダメ。」
「自責じゃないといけない。」

・・・この極端な二元論に違和感があり、ペンをとります。

「ごめんなさい。が言える自責の人にならないとダメだよ!」

これを相手に強く押し付ける人に違和感を感じます。
また、
謝ったら許される。謝ったらゼロリセット。
も、なんかちがうかな。
どんなに困った人、苦しんだ人が居ても、
一度「ごめん!」と謝ったらすべてOK。
謝っているのに、しつこく許せない人の方がダメ。
こういう、自責砲を乱射する”他責排除攻撃”は論破必至。
という、違和感。

あなたの発言は、”もしかしたら傷つく人が居るかもしれない”という相手のキモチを予測した上で発信できていませんよ!

これはすごくよくわかる。
でも。

「もしも、傷つく人が、もしも居たらどうするんですか?」

「もしも、不快に思う人が、もしも居たらどうするんですか?」

これには違和感を感じる。

そういう警告をぶつけてくるアナタこそ、
アナタの警告を叩きつけられた人の気持ちを想定して話せていますか?

100%自責の塊みたいな人はいないし、反対に100%他責の人もいない。要はバランスの問題です。

ちがうと思う。
バランスでは、何も解決しないし違和感しかない。

そして。 僕は”自責他責”をやめることにした。

そもそも、発生している問題の解決”だけ”をすればいい。

そして、ビジネスにおける問題は、
ほぼ全て一人では解決できない問題だ。
たった一人が孤立して重篤な自責を抱えても絶対に解決しない。

みんながほんの少しの自責を持ち寄る。それだけでいい。

売上が足りないのは、物流だけのせいじゃない。
売上が足りないのは、営業だけのせいじゃない。
製造だけのせいだけじゃない。
企画・マーケだけのせいじゃない。
コンテンツだけのせいじゃない。

今の高度化した社会問題や複雑な経済活動で発生する問題は、
ほとんどが「みんなごと。」みんなの、一人一人の課題なはずだ。

だから、向かうゴールと上流の戦略さえ明確であれば、
みんなが少しの自責を持ち寄り、
1人1人がみんなを支える柱となって
自分の持ち場に向けて全力で取り組む。
ただ、それだけ。それだけでいい。

僕たちが子供のころから慣れ親しんだカービィやマリオは、自責なんて絶対に言わない。

悪役クッパやデデデが悪行をはたらき、
それは、みんなの問題。

その問題に対し、ただのしがない配管工のマリオが救済の為にがんばるというシンプルな構図がある。
ただ、それだけでいいんです。

マリオはよくしぬけど、それを人のせいにしたりしない代わりに
自責の念に押しつぶされることもない。

僕たちもゴールに向かう途中によくしぬ。何度もしぬ。
でも、向かうルートは何種類もあり、その選択は完全に自由なんだ。
途中はショートカットしてもいい。しなくてもいい。
短い距離に挑戦するのも、長距離に挑戦するのも、完全に自由なんだ。

自責思考が世界を不幸にする。

だから、何が良くなかったのか、ちゃんと理解し反省だけして
それによって未来に向けて成長さえできてたらOKだ。
必要以上に重篤な自責を抱え込んだり、
他責思考が少しでも少なくなると世界はより良く向かうと思う。


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