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そろそろ大学卒業なので、大学の思い出を振り返ってみる。 第一話

こんにちは。takuです。

先日、大学のテストが終わりました。とはいうものの、受けたのは法律系の授業ではなく経済系の授業なんですが…

東京大学の法学部生(?)な僕ですが、もうそろそろ卒業です。

ということで、この4年間どう過ごしてきたのかをここで書き残してみようかなと思います。

大学1年―調子に乗った一年

ご存知の通り、僕は東京大学に入学することができました。
この辺りは、プロフィールにも書いてあるしご存知で大丈夫でしょう。

東京大学を志望校としていた中で、一年浪人してやっと受かったという経緯があるので、現役で受かった人よりも嬉しかったはず。

僕は法学部へ進学することのできる文科一類という所に入りました。いわゆる進振りというやつですね。

高校生のころは外交官や法曹を目指していました。そういうこともあり、次のステップに向けて気を緩めずに頑張っていこうという気持ちはありました。

ここまでを踏まえると、タイトルで「調子に乗った一年」と聞くと半信半疑になりそうですが、正確に言うと半分はちゃんとしていました。

まず、大学の勉強はしっかりやっていました。大学1年時に受けていた授業は、国際関係論、ビザンツ史、中国系の小説を読むゼミ、イタリア語、英語あたりかな。他にもいっぱいありますが。

どの授業も結構面白い内容でした。東京大学は初めの2年間は様々な科目の授業を受けることができます。僕は必修科目と興味のあるものを無理なく取れるような感じで取っていきました。

大学一年で犯した大きな3つのミス

一方でちゃんと半分調子に乗ってしまいました。

具体的にどう調子に乗ってしまったのか。考えたところ大きく3つあると思うのでご紹介します。

ミス① : 東大生に対する誤った評価をしてしまった

一つ目は、東大生を「すごい人」と勘違いをしてしまったことです。

こういう言い方をするとツッコミが来そうなのでしっかり説明しておきますが、東大生は「すごい人」が多いですが全ての学生がそうではありません。

どこのコミュニティにおいても、良い人と悪い人がいます。
ここでいう良し悪しは「勉強の出来」ではなく「総合的な人間力」です。

極端な例を挙げると、野球のイチローさんは勉強の成績が超優秀というわけではありません(もしかしたら学校の成績が常にオール5だったかもしれないけど)。

だけど、彼は野球において素晴らしい成績を残しています。でも、それは勉強の出来不出来とは全く関係ありません。

僕は賢さの度合いを測るのに「学力」が全て!、とは思っていません。それこそ、運動神経が良い人も頭がいいのではないか?なんて思ったりもします。

さて、東大生の話に戻りますが、入学当初僕は「うわぁ!すごい人がいっぱいいるなぁ!」と感動のまなざしを輝かせていました。

特に、TLP(英語の成績優秀者が受けられるプログラム)や推薦入試合格者、インター(外国語を既修している人のクラス)などは尊敬の目で見てましたね。

もちろん、そんな中にいる自分も誇らしく感じました(これがミスの③につながります)。

東大生に幻滅した話

ですが、途中から幻滅しました。
幻滅したきっかけをいくつかご紹介していきます。

まず、5月あたり。5月は五月祭という本郷キャンパスで開催される東大の文化祭があります。よくテレビで取り上げられますから知ってる方も多いかと思います。

このあたりではクラスで屋台をやったりするのですが、この辺りから同じクラスの男子学生が僕に向かって「新進気鋭のアスペルガー」と言ってきました。

それがクラスの人に広まって、(全員ではないけれど)「気鋭ちゃん」なんてあだ名が付きました。当初、僕も自分自身を変人だとは思っていたのであんまり気にしていませんでした。

でも、よく考えてみてください。どう考えても出会って数ヶ月も経っていない人間に対して「アスペルガー」っておかしくない?相手が本当に頭がおかしかったとしても。

もちろん、twitterをやっていると分かるんですが、マジでおかしい人はいることは確かなんですが…まぁ当時の僕もひどかったのでまあいいとします。

話を聞いてくれないサークルの環境

二つ目。僕はとあるサークルに入ったのですが、そのサークルの運営がひどすぎました。

まず、どいつもこいつもサークルに来ない!各々の予定があるので出れないのは仕方ないのですが、幽霊部員みたいな人が後輩である僕らの面倒を見るみたいな状況で、正直全員の先輩のことをちゃんと知れていませんでした。

次に、どいつもこいつも人の話を聞かない!文字通りです。例えばミーティング中に何か笑いみたいなことが起こって盛り上がると皆好き放題喋ってなかなか静まりません。クソガキかお前らは。

こんなモチベーションの低い環境の中で僕も色々やるのですが、その中で参加する大会(何の大会かは伏せておきます。バレるから。)はことごとくダメ。部内の大会でも評価されず。

僕自身の力不足もあるとは思いますが、当時は「先輩とか他の人にフィードバックをもらえない環境に合ったからではないか?」と考えて嫌になってましたね。

結局、大学1,2年なんて未成年のガキです。どいつもこいつもダメダメ。
これは東大でも変わらないんじゃないかな?

例にもれず、僕もクソガキだったのでこういうことを見落としていたので、特に人間関係で嫌な思いをしました。

ミス② : 他人との距離感を誤った

2つ目は、相手のことを考えず身勝手なことばかりしていたことです。

大学に入った春ごろ、僕は彼女がいなかったので「彼女欲しいなぁ」と思っていました。

彼女が欲しいとはいうものの男子校出身だったので、女性に慣れることから始めようと思い、なるべく女子と接していました。

女子と接する、と言いましたが理由はこれだけではなく、もともと僕が結構ストライクゾーンが広かったり、男子がうざかったり、色々あります…

恋愛でやらかしたミス

そんな中で、とある女の子と知り合って二人で渋谷と横浜で遊びました。

ここでやらかしました笑。結構ベタベタしすぎたんですよね。
まあでもそんなにエロいことはしてないんだけどね。

恋愛観について人によって大きく分かれるとは思うんですが、普通は恋人関係にならない限りはベタベタすることはよろしくありません。

しかも結局その日は告白せずに帰しちゃったんですよね。バカだよね笑
※その日は花火大会に行ったので、そのまま何かアクションを起こすのが正解かと。

この辺りから迷走が始まります。

まず、「好き」がよく分からなくなりました。ここはまだいいのですが、これによって変にさっきの女の子に話しかけすぎちゃったんですよね。

記憶に残ってるのは「なんで○○をやろうと思ったの~?」みたいな質問をしまくって「何が聞きたいの?」と返されてしまったこと。

なんでもっとちゃんと友達関係を構築しなかったんだろう。結局そこに出ていたのは「彼女が欲しい」という僕の身勝手な気持ちだったんじゃないかなと。

世界遺産にうつつを抜かす

そんなこんなで恋愛がうまくいかなかったもんだから、ついに僕は自分の世界へ現実逃避をします。

当時、TBSの番組「世界ふしぎ発見!」「世界遺産」を見ていました。これについては今も興味を持っているので時間があったら見たいとは思ってます。

こういう言い方をしているように、僕は結構色々なことをやっていて忙しかったんです。色々タスクを抱え込む性格だったので。

なので、サークルの合宿のバスの移動中にポータブルDVDプレイヤーでそれを見るという謎の行動をしました。こんなことしてる時点で人間関係は構築できないよね笑

この辺りで調子ノリノリのしわ寄せが来ました。どうして自分の気持ちばかりが出てしまったのか。ちゃんとミスっていますね。

ミス③ : 自分自身を過大評価してしまった

三つ目。ミス①②にも通じる部分ですが、自分自身を「すごい人」の一人だと思っちゃってたと思います。

正直、何でもできると思っていました。まぁこの部分は考えは変わらないんだけど、「無条件に」できるとまで考えちゃってたんです。

さっき言ったサークルの大会もそう。優勝することをイメージしてウキウキしたり。捕らぬ狸の皮算用①。

恋愛もそう。まぁ誰かは落とせるっしょ笑。捕らぬ狸の皮算用②。
まあ、意外とカレカノは簡単に作れると思いますけど…(いつか話します)

今思うと、確かに誰でも全てのことができる「すごい人」になれるとは思います。

だけど、それには条件があります。それは「ちゃんと努力して経験を積むこと」と「他人の力や支えを借りること」です。

こういう条件があって初めて何でもできるということ。なんで浪人したのに分かってないんだろう。

同じミスをもう一回繰り返して、ちゃんと報いを受けていますね。

その後どうなったのか?

今回は、そんなミスを犯した結果までお話しようと思います。

大学1年の3月の初め。僕は次の週から2週間だけ留学する予定でした。
留学の直前、サークルの大会が終わった後に打ち上げをしました。

ここで、引退する大学2年(このサークルは2年だけしかできない)に色紙を渡す話が出たのですが、それが打ち上げの10日前くらい。

高校の頃、引退する先輩への色紙を準備する時は1ヶ月前から始めていました。それに比べると遅すぎる。加えて部員全員の予定も全然合わない。

そこで、来年のリーダーが僕に色紙の仕事を任せる(押し付ける?)わけですが、言い出しっぺであるリーダーが十数人の色紙のデザインを「全部やって💕」。

マジふざけんなよなぁ笑。できるわけねぇだろ笑。

僕は別に絵心があるわけでもない。むしろ下手なのに。親に相談してメッセージの紙を型どおりに切り分けてもらい、それを部員に配り…

こういうのって、ちゃんと計画してちゃんと部員に周知して日程合わせて…ここまでの準備は必要で、頑張っても10日では間に合いません。

打ち上げの前夜、この日は大会の運営があったのですが、夜になっても色紙は完成せず。一部の部員は帰ったし、打ち上げまでに準備する時間も本当にない。

次の日の反省会でも、一回盛り上がると静かにならない。
正直ついていけなくなりました。

同時に、なんやかんやあって同じクラスの人と喧嘩しました。
最終的にはLINEのクラスグルも抜け、サークルのグルも抜け。

高校時代への懐古

打ち上げが終わった帰り、僕は2年前と同じ感覚を味わいました。東大に落ちて浪人が決まった直後のような、心にぽっかりと穴が開いた感覚。

帰った時にふと目にしたのは、僕が高校の部活を引退する時に見た色紙です。皮肉なものですね。

「takuさん、今までありがとうございました!」決して僕は良い先輩ではなかったけど、僕を信頼し、慕ってくれた後輩の感謝の言葉。

これを読んで涙が止まりませんでした。
その後、サークルを辞めることを決意するわけです。


ここまでが大学1年の思い出です。

もちろん、イタリア旅行に行ったとか、楽しい思い出はいっぱいあるんですけど、大学生活を振り返る上ではこういう悲しい話が後の伏線?になるわけです。

イタリア旅行や勉強の話もまた話すことにしますが、とりあえずはこんな感じで締めくくっておきます。

次回、そんな悲しい大学一年からどう変わっていくのか。
乞うご期待!ということで笑。

ご覧いただきありがとうございました。


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