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仕事と趣味 学生の君へ

成人式

日本には成人のお祝いがある。これを読んでいるあなたはもう成人しているだろうか。日本では「成人の日」という祝日まで存在する。でも、成人するというのはどういうことなのだろうか? しかも、日本は2022年から成人を18歳へと変えた。成人になるというのは変えられるものなのだろうか? じゃあ、成人というのはどういうことなのだろうか?

歴史を振り返ってみると、日本では奈良時代以降に元服という儀式があった。元服という言葉はきっと社会科や歴史で習って覚えている人もいるだろう。その当時は、数え年で12歳から16歳であったと言われている。今では一律で18歳ということになっているが、昔は今みたいにみんなが一斉に成人になったわけではないようだ。たしかに、年齢よりもしっかりしている人もいれば、そうでない人もいる。あまり未熟なものを成人と認めない。これは理にかなっているような気がしないだろうか。そもそも成人とはどういうことかを調べてみると、ウィキぺディアには、「一般社会においては、身体的、精神的に十分に成熟している年齢の人間を指すことが多い。」と書かれている(「指すことが多い」というのはまた微妙な言い回しだ(笑))。コトバンクには、「心身が発達して一人前になった人。成年に達した人間。おとな。現代日本では、一般的に満18歳以上の者をいう。」と書かれている。意味的にはやはり一人前になった人という意味が成人という意味であるような気がするが、成熟している年齢とか、成年に達した人という言い方もある。歳を取れば必ず一人前になるならいいが、必ずしもそうではない時に、本当の意味で成人とはどういうことなのだろうか。そもそも年齢とは何なのだろうか。ただの数字ではないのだろうか。

何だか矛盾しているようで不思議ではないだろうか。現行の制度だと、一人前になっていない人でも、ある年齢に達すれば成人と認められるのである。今年も例年通り成人式の日に大騒ぎをして警察にお世話になっているものもいたが、彼らは果たして一人前なのだろうか? もちろん、一人一人違うとなると、これはこれで社会の制度としてはとても面倒くさいことになる。お酒やタバコは年齢が決まっている。それを一人前になり、成人になってからでなくてはダメとなると、個々に証明書などを発行しなければならなくなる。友達はお酒を飲めて、自分は飲めない。もしそうだったら、自分もちゃんと一人前にならなくてはという自覚が生まれるものなのだろうか。それはわからないが、でも、昔であれば、今よりももっと一人前になるということは、意識されていたかもしれない。いつかは成るにしても、周りに認めてもらわなければならなかったのだから。今では、成人の儀式の日に、成人らしからぬ行動をするような人も成人になれてしまうのであるから。昔だったらどうなったであろうか。

そう考えてみると、今の成人というのは、社会の制度だということがわかる(当たり前なことのだけれども)。本当の意味での成人になるということではなく、観念としての成人だ。つまり、18歳になれば成人だという思い込みなのである。みんながただそう思っているだけなのだ。海外では成人の年齢が違う。だから、これは国による制度なのだ。では、国とは何だろうか? 国というものは、あるようでない。日本という国は領土としての日本はあるが、これが日本です、という目に見えて指し示すことができるものはない。目に見える日本というものはない。そう国自体も思い込みなのだ。いや、私は日本に生まれた日本人です、とあなたは言うかもしれない。たしかに戸籍というものはあるかもしれないが、あなたの中から日本人というものを取り出して見せてください、と言っても、取り出すことはできない。日本人であると思っているあなたがいるだけなのだ。

そんな日本人であると思い込んでいる日本人の成人式というのは一体何なのだろうか。成人になるということはどういうことなのだろうか。こんなことを考えて成人式を迎えた成人はいるだろうか。成人を迎えた皆さんおめでとうございます。あなたも(たとえまだ成りたくないと思っていても)成人の仲間入りですね。

仕事と趣味 学生の君へ

学生の君へ

趣味を仕事にできたらいいな。好きなことが仕事になったらいいな、と君は考えているかもしれない。好きだったサッカーが仕事になったらどれほど幸せだろうか。趣味のサイクリングが仕事になったら毎日が楽しいだろうな。実際にそうやって生活している人が、毎日見るニュースアプリに取り上げてられている。でも、残念ながら今は君のところへはそのオファーが来ていない。プロになれなくてもユーチューバーならなれるかもしれない、そんなことを思っているかもしれないね。もしかしたらもうSNSで発信し続けているかもしれない。フォロワーもそこそこいる。これを毎日続けていたら、もしかしたらそれで食べていけるのではないか、そんなことを考えているかもしれない。

そもそも仕事とは何だろうか。そう考えたことはあるだろうか。子どもの頃、大人になったら何になりたいですか? と聞かれて、君はどう答えただろうか。きっと多くの人たちが職業について答えていたのではないだろうか。一時期ユーチューバーが人気の職業になったけど、ユーチューバーは職業かな? 公務員が人気の時もあれば、プログラマーが人気の時もあり、昔はスポーツ選手も人気だった。何になりたい? というのは、大人にしてみると、どういう職業につきたい? どんな仕事をしたい? という意味らしい。 僕は僕以外にはなる気がありませんとか、僕以外にはなれるんでしょうか? というようなことを考えた君はなかなかその当時から鋭かったんだね。でも、今もそのままそういう考えでいるだろうか。就職にあたって、もう何かになるということは、どこどこの会社で働くにはなってしまってはいないだろうか。

仕事というと、それこそ、どこかの会社に所属して働くというのが、今の日本では多くの人がとっている形式だろう。起業したっていいのに、それこそ、働かずに留学したっていい、世界へ旅に出たっていい、そもそも働かなくてもいいのに、なぜ君は仕事をしようと考えているのだろうか。日本は世界でも珍しい形で新入社員を募集する。就職活動の時期が決まっているなんて、何でだろうか。考えてみたことはあるだろうか。もう大学の最後の年は就職活動で忙しい。勉強するために大学に入ったはずが就職活動一色になってしまう。もっと勉強したいと思っているなら、その時間はもったいないことだよね。せっかく高い学費を払っているのに。でも、変な話、今の大学生たちは勉強するためというよりも就職するために大学に入っているかもしれないね。僕の頃もひどかったけど、いい大学に入って、いい企業に入ることが幸せだと思っている人がたくさんいたからだ。そんなわけはないと誰もがわかっている当たり前のことなのに、大人たちはみてみぬふりをする。そう信じ込ませたいと思って、自分が勝手にそう信じていることを子どもたちに押し付けてしまっているんだ。今でもまだ学歴社会だと言う大人たちがいる。いい学校に行けなくて、いい企業に入ることが幸せならば、日本の多くの人たちは、不幸だと言っていることに気がつかないのだ。勉強嫌いな君が無理していい大学に入って、大企業が嫌いな君が自分を偽って大企業に入る。そのどこに幸せがあるのだろうか。今、世界的に有名な企業が続々と人員削減を始めている。あれ? いい大学を出て、いい企業に入れば幸せじゃなかったの? なぜ彼らクビにならなくてはならなかったのだろうか。おかしいと思うよね。そんなのは嘘だったんだとわかるよね。それでも、まだ周りの人たちはそんな幻想を信じているのかもしれない。それが子どもたちにとってよいことなんだと思い込みながら。

でも、よいことというのはどういうことだろうか。自分さえよければいいということだろうか。よい会社にみんなが入れるわけではない。狭き門を潜り抜けられた一部の人たちだけだ。じゃあ、それ以外の人たちはよくない。つまり、悪い会社へ入らなければならない。悪い会社で、悪い人生を送らなければならない。つまりは不幸にならなけらばならないということだろうか。悪いことは幸せであるわけがない。だったら、よい会社、よい仕事に就けなかった人は不幸なのだろうか。でも、よい会社と言われているところで働いている人も犯罪を犯してしまったり、みんなが幸せだなんてことは聞いたことがない。さぞや幸せだろうと思っていたら忙しくて遊んでいる暇もないという。仕事は誇りを持ってやっているけど、でも、死にそうになって働いている。そういう人は幸せだろうか。いやいや、うちの会社はブラック企業ではなく、ホワイトだよ。残業もないし、福利厚生もしっかりしている。でも、仕事にやりがいは感じられないけどね。それが果たして幸せだろうか。

もちろん幸せとその人が思っていれば、幸せだから、もしかしたらそれでも幸せと感じているかもしれない。でも、よいということは、自分だけではなく、みんなにとってよいことであり、じゃあ、よい仕事というのはどういう仕事なのだろうか。そもそも、そんなよい仕事なんてあるのだろうか。君はどう考えるだろうか。

最初は趣味を仕事にできたらいいな、と考えていた君は、趣味を仕事にできることはよいことだと考えているから、そうしたいと思っている。それが幸せになることだと思っているからそうしている。たしかに趣味を仕事にできたらきっと楽しいだろう。でも、それができているのは一部の人だけである。そんなのは少し考えてみればわかるわけで、早くから才能を発揮できた人、そういう一部の才能がある人に限られていることはみんな知っている。だから、多くの人たちは途中であきらめてしまうのだ。でも、本当に趣味を仕事にすることはよいことなのだろうか。趣味では気楽にできたけど、仕事になるとインタビューを受けたり、CMに出演したり、やりたくない、やらなければならないことも増えてくる。本当にそれも含めて君はそのことをしたいのだろうか。もちろんやってみてはじめてわかることがあるから、やってみなくてはわからないこともある。

でも、そもそも何のために人は仕事をするのだろうか。次回はそのことについて考えてみよう。

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