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神はなぜ彼女に才能を与えてしまったのか

神はなぜ彼女に才能を与えてしまったのか

【Feeling】
五感で感じるということは、生きるということ。今日も世界を感じよう。

彼女が普通の少女だったら。いや、彼女がわたしたち(家族)と一緒だったら、家族はもっと平穏に幸せに暮らせることができたののではないだろうか。

ろう者の家族に生まれて、一人だけ耳が聞こえる少女。高校に通いながらも家族の仕事を手伝い、いつも家族と一緒にいた。

そんな彼女に、神さまは音楽という才能を与えてしまった。一体なぜ神さまは、家族のだれも彼女の歌声を聞くことができないのに、彼女にそんな才能を与えてしまったのだろうか。

人は平等ではない。それはただ不平等という意味ではなく、人それぞれに個性があり、才能があるのだ。でも、その才能が、家族には理解し難い才能であるとき、その才能は開花することはあるのだろうか。一番近くにいる家族がその才能を理解できないなんて、悲劇にほかならない。

でも、多くの人たちの人生でもきっと同じことが起きている。家族にはずっと一緒にいてほしい。近くにいるからこそ、その才能を純粋に信じることができない。可能性よりも、失敗した時のことを考えてしまう。子どもには、家族には、できるだけ苦労なく、幸せになってほしい。

親、家族であれば、だれもが思うことだろう。でも、ときにそれがその人の才能を奪ってしまう、才能の芽を摘んでしまうことがあるのだ。

この物語の主人公は、その才能を開花させることなく、家族といつまでも一緒に幸せに暮らすというもうひとつのストーリーもあったのかもしれない。でも、才能に気がついてしまった。それはもう周りが放って置けないほどの。自分の才能なんて、自分が一番わからない。そして、恵まれない環境。一番近くにいる家族がそれを一番理解できないし、そして、決して何度もチャレンジできる裕福な環境があるわけでもなかった。

それでも、才能は最後には開花するのである。それは、ある意味では、家族にとっては皮肉かもしれない。家族にとってはただ嬉しいことだけではなく、哀しいことでもあっただろう。でも、一人の人の可能性を失うよりも、その可能性にかけること、その可能性を信じる道を選んだのだ。

この少女が、このままシンデレラのようにハッピーエンドで人生を終えるかはわからない。人生には色々あるからだ。でも、あのとき、あの瞬間に、こっちの道を選んでいれば、というのは、もう存在しない世界。

その可能性はひとつの世界を選んだ瞬間に失われてしまう。でも、僕たちは生きなければならない。選んだ道の可能性を信じて。

可能性を信じることは難しい。多くの人たちは生きることで傷ついてきた。そして、自分の愛する人たちには傷ついてほしくはない。だから、可能性なんて信じたくない。でも、可能性を奪ってしまうことにも耐えられない。その狭間の中で、僕たちは生きていかなければならない。

だからこそ、たとえ、その道が行き止まりになる可能性があったとしても、どんなに険しい道だったとしても、僕たちは、その道を歩んでいかなければならないのだ。

才能はときにギフトと呼ばれる。贈り物は家族や周りの人のためではなく、いつもその人のためにあるのだ。だから、それを信じるしかない。信じて見守ってあげるしかないのだ。

新しい可能性が開花する瞬間はとても美しい。でも、その過程にはたくさんの哀しみが存在する。だからこそ、その花(才能)はとても美しいと思えるのかもしれない。

それを知っているから、たとえ、これからいろいろな哀しみが襲いかかってこようとも、この映画をみた人はきっと、また自分を奮い立たせることができるだろう。

映画『コーダ あいのうた』
エミリア・ジョーンズ (出演), トロイ・コッツァー (出演), シアン・ヘダー (監督)

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