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人生の意味を考えている時点で、人生を生きていない

ちょっと過激なタイトルになっちゃったけど、人生の意味を考えている時って、残念ながら人生を生きているとは言えないのではないかと思う。それは人生の意味を考えることが悪いということではなく、それを考えてしまうということは、どこかに迷いだったり、悩みだったりがあるから、そのことを考えてしまうのだと思うからだ。

子どもは「人生の意味はなんだろう?」なんて考えて立ち止まることはない(もちろん、そういう子どももいるだろうけれども)。そんなことを考えるよりも、心が、体が反応して、楽しいことをし始める。どんどんいろんなことに興味、好奇心を持ってチャレンジする。

いちいちこれは人生に役に立つのだろうか、意味はあるのだろうか。将来これをやっていくことで得になるだろうか、そんなことは考えずに、ただただ、今楽しいと思ったことに全力を注ぐのだ。他のことは一切考えない。それに集中する。それが、今、ここを生きるということなのではないかと思う。

大人になると、家族を養っていかなければならなかったり、社会的に何か役割を担わなければならなかったり、そういうことがある。いろいろなものが複雑に絡み合ってきて、一体自分が何をやっているのかわからなくなる時がある。

そんな時に、ついつい人生の意味を考えてしまう。そうやって考えること、立ち止まることは時には大切だと思う。でも、その時、その瞬間、自分の人生を生きているか? と問われると、そうではないのではないか、と思ってしまうのだ。

それよりも、もっと何かに集中したい、叶うかどうかわからないくらいの夢に夢中になっていたい、きっと多くの人たちが何かに没頭していたいと感じているのではないかと思う。周りの雑音なんか無視して、もっともっと深く自分の中にある創造性の井戸を掘っていきたい。本当はそう思っているのではないだろうか。

みんなもっと何かに没頭したいのだ。何かに夢中になりたいのだ。人生の意味なんて考えている暇もなく、そんなことを気にすることもなく、ただただ、体と心を動かして、人生を最大に楽しむこと。ただただそれに夢中になっていたいのではないかと思うのだ。本来人間はそれができるものなのだと僕は思っている。

だから、人生の意味を問い続けるよりも、僕は子どものようにいつも何かに没頭していたい、夢中になっていたい。それがたとえ、意味なんてなくてもいい。ただただ楽しいと思ったこと、知りたいと思ったこと、その驚きや神秘さに目を見張る心を持ち続けて、行動し続けること。

それが僕にとっての人生の意味であり、振り返ってみると、ああ、これが僕の人生だったんだ、悔いはない、後悔はない、と言えるような人生を送ることができるんじゃないかと思うのだ。目の前のことに没頭することは難しい。あまりにも雑音が多すぎる。でも、子どもの時は、一瞬で自分の世界に入ることができた。僕たちはきっといつでも、自分の世界に入ることができる。夢中になれる。小さかった頃のことを思い出して、もう一度、自分の人生に没頭しよう。
そこにはきっと人生の意味なんてものは存在しないのだから。

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