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「弱さ」の時代

「弱さ」の時代

【観たこと。読んだこと。聴いたこと。】
批評・レビューというよりも、作者・読者・視聴者へ応援メッセージ送りたい。そんな想いで綴ったエッセイ。

今、この時代に必要なことはなんだろうか。必要とされているものはなんだろうか。いつもいつも考えているわけではないけれども、でも、どうしてうまくいくコミュニティもあれば、うまくいかないコミュニティもあり、そこの違い、そして、みんなにとって居心地がよい社会というのはどういうものなのか、というのはずっと思索し続けていた。

アフターコロナ、ポスト資本主義についていろいろな言葉が飛び交う中で、一番しっくりきた言葉は「弱さ」だった。

若松英輔氏の『弱さのちから』にはまさに僕が感じている今の時代に本当に必要なこと、必要とされていることがなんなのか、というのが書かれているような気がしたのだ。これまでは、強がること、できないことでもできると言って、後からなんとかすること。そんなのはもう時代遅れなんだけれども、でも昭和を思わせるような言葉たちは今も日常的に飛び交っている。残念ながら令和の時代になっても、それ以外の言葉をみつけられないでいる人が多いのだと思う。

でも、本当は心の中ではもうそんなことは思っていないのだと思う。強がりを言ったところで、それはもうバレてしまっている。検索エンジンひとつでなんでも調べられる時代だ。数を水増ししたところで、誇張したところで、それはただの記号であり、なんの力もなくなってしまった。昔は、それによって、仕事が成り立って、会話が成り立っていたのかもしれないけれども、でも今の時代はもうそういう時代ではないとみんなが思っていながらも、それが続いているのだ。いつかはもう脱却しなければならないと、こんな無意味なことをし続けられるわけはないと思いながらも、それ以外の言葉がきっとみつからないのだ。

でも、実は知っているのだ。その言葉がどのような言葉かということは。それは「弱さ」。今まで人にはみられないように、悟られないように徹底的に隠してきたこと。言葉になんて絶対にするなと言われてきたこと。しかし、今必要なのは「弱さ」を言葉にすることなのだ。

日本にいれば、日常的に食べるもの、住む場所、着るものに困ることはない。どこにでもありふれているし、ものすごい少ない金額でそれを入手できるようになった。それまでは、足りないものがたくさんあって、強がること、それを欲するちからが必要だった。だから、強がることが大きなちからとなった。でも、もう強がってまで手に入れるものはなくなってしまった。もう十分満たされているのだ。満たされていないのは、心の渇き。

こんなにもたくさんのものがあるのに、こんなにもたくさんの人がいるのに、ふれられない、つながれない、そんな心の渇き。パンデミックによって、そのことがわかってしまった。そして、ふれるためには、つながるためには、自分の「弱さ」をみせなければならないことを。

『弱さのちから』の中で、「弱さ」によって、人はつながることができると書かれている。僕もその通りだと思う。強さは偽りとまではいかないかもしれないけれども、でも、人と安心して、つながるためには、お互いの「弱さ」を知ってなければならない。それでないと人は安心してつながることはできないのだ。強さはときに人を傷つけるものだから。

でも、「弱さ」なんてものでよい時代がつくれるのだろうか? と疑問に思うかもしれない。しかし、コミュニティのはじまりは、つながりのはじまりはなんだったのだろうか、と思うと、それは「弱さ」を補うためだったのではないかと思う。

強い人は一人でも生きていける。むしろ、人がいればいるほど、強い人、一人でも生きていける人は、周りに対して、自分の力を他者に分け与えなければならない。自分一人生きていくための仕事だったのが、周りの人たちを活かすために余計に働かなければならなくなったのだ。

それでも、これほどまでにコミュニティというものが発展してきたのは、そういう強い人にも当然弱さがあって、その弱さとは、ときには、家族を守りたいとかそういう単純なものだったのだと思う。自分の小さな子どもを守りたい。でも、自分が家族から離れないと食料を調達することはできない。自分を守れない子どもやパートナーをどうやったら守ったらいいのか? そのときに、人のちからを借りること。みんなで共に生きようとすることが生まれたのではないだろうか。

そう考えると、「弱さ」というのは、ただ脆弱であるということではなく、ときには「愛」「利他」という言葉を含んでいると言ってもいいのではないだろうか。

「弱さ」を認め合う時代というのは、言い換えれば、「愛」の時代であり、「利他」の時代なんだと思う。そして、本当の意味での「共生社会」というのは、弱さを認め合い、補い合う社会なんだと、この本を読んでコトバにすることができた。

この本は、ちょうどパンデミック起こる直前から書かれたもので、まさに渦中に書かれた本であるが、今、ようやく少し先行きが見えてきた今、もう一度読むことで、僕たちがコロナ禍において本当に必要だった言葉を取り戻させてくれるのではないだろうか。

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