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食べるために生きるのか、生きるために食べるのか

お墓参り代行サービス

最近、タクシーに乗った際に「お墓参り代行サービス」なるものの広告があった。最初はお墓参り手伝いますよ、というものかと思ったら、そうではなく、タクシーの運転手さんが代わりにお参りすると書いてあるではないですか! 本当にお参りまで代行なんだな、と驚いたが、果たして墓参りは代行することができるのもなのだろうか?

もちろんすでにサービスとして提供しているということは、ビジネスとして成り立っているのだと思うが、ご先祖様の気持ちになって考えてみると、それってどういうサービスだと感じるだろうか。漫画のようにもし墓のところにご先祖様がいるシチュエーションを想像してみよう。(あくまでこれは僕の想像であって実際のサービスはタクシー会社にお聞きください)

タクシー運転手
「私は○○タクシーの△△の申します。お墓参り代行サービスで××さんの代わりにお墓参りにやってきました」

ご先祖様
「それはわざわざありがとう。でも、驚いたなそんなサービスがあるなんて」

タクシー運転手
「××さんはもうご高齢になられまして、ここまで来ることが難しいということで、このサービスを申し込まれました。ご先祖様に直接お参りができないのは申し訳ないが、でも、お墓も綺麗にしたいし、代わりでも行ってもらった方がご先祖様も喜んでくれるのではとおっしゃっておりました」

ご先祖様
「そうかそうか。もうそんな年になったか。まあ、しょうがないよね。でも、そんなわざわざ代行サービスまで申し込まなくても、家でお参りしてくれればいいのに。別に僕はいつもここで眠っているわけではないしね」

タクシー運転手
「それでは、お墓を綺麗にさせていただきます(お墓を掃除する)。これで綺麗になりました」

ご先祖様
「ありがとう。お墓は綺麗になったね」

タクシー運転手
「それでは、代行でお参りさせていただきます」

ご先祖様
「ありがとう。でも、あなたは僕なんかではなく、自分の先祖にお参りをすればいいんだよ」

タクシー運転手
「はい。これで代行サービスを終了させていただきます。ありがとうございました」

ご先祖様
「ありがとう。それにしても大変だね。それにいくらかかるんだろうか? 別に僕はわざわざこんなことをして欲しいとは思ってないんだけどな~。みんな自分がこっちにいたらそう思わないのだろうか? そもそも、どうして僕がこのお墓に眠っているのだろうと思うのか? いなかったらただのお金の無駄だよね。それに自分がもし仮にお墓にいるとしたら、本当にこんなことしてもらいたいと本人は本気で思っているのだろうか? 生きている人の気持ちもわからなくはない。誰も手入れしなかったらお墓はボロボロになってしまうからね。でも、これからも人は生まれて死んでいってこれが続いたら、もう世界は墓だらけ。もう生きている人よりもどんどん死んだ人の方が圧倒的に多くなった時に、世界はどうなるのだろうか? まあ、そんなことを死んでいる僕が考えても仕方がないのだけれども、生きている人の考えることは面白いものだよね。さて、生きているということはどういうことなのだろうか? 死んでいるということはどういうことなのだろうか? みんな死んだことないのに、死後の世界なんてあるかどうかはわからないのに、どうしてこういうことをするんだろうかね? きっとそんなことも考えたことがないから、きっとこういうサービスが生まれるんだろうね。もしたとえあの世があろうがなかろうが、そうしたいという気持ちが大切だ言うのであれば、どうしてわざわざお金で解決しようとするんだろうね。別にそれこそ気持ちでいいじゃないか。死んだことのない人の考えることは本当に不思議なものだね」

はてさて、お墓参りを代行するということは、どういうことなのだろうか?

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