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書くことは生きることだから

久しぶりにジュリア・キャメロンの『あなたも作家になろう―書くことは、心の声に耳を澄ませることだから』を読むと、書くことについて余計な考えに囚われてしまっていたことに気がつく。そうそう、別に有名になりたいわけではなく、作家でありたいのであって、作家はただただ書く生きものなのだと。なぜなら、書くことは生きることだから。

呼吸するように書く、ご飯を食べるように書く、着替えするように書く、寝るように書く・・・意味がわからないかもしれなけいけれども、生きる=衣食住の中に書くがあるのだ。そんな感じ。そんな作家を目指すというか、そういう生き方を選びたいと思っていたのだと。

自分にとって書くことは特別なことではなく、当たり前に行うこと。お腹が空くとイライラしてしまうように、書かないとイライラしてしまう。
お腹がいっぱいになると幸せになるように、書いていると幸せになる。そんな感じだ。

もちろん、ダイレクトにすべてが直結しているわけではないけれども、でも、書くことというのは僕にとってはそういうことなのかもしれないと思うのだ。大袈裟なように聞こえるかもしれないが、それが音楽の人もいれば、スポーツの人もいる、もっと違った趣味だったり、それこそ食べるということがそれにあたる人もいるかもしれない。

それぞれ、それがないと生きていけないというものは違うと思うけど、それでも、その人にとって、生きていくために必要なことってきっとあるんだと思う。でも、忙しいとそういうことを忘れてしまって、衣食住それだけで生活を満たそうとする。でも、生活は満たされない。だって、本当に必要なものが足りていないのだから。生きるために必要なことが。

旅人には旅が必要なように、レーサーには車が必要なように、カーボーイには馬が必要なように、僕にはノートとペン、パソコンが必要なのだ。そして、毎日のようにそれに触ること。それを楽しむこと。それが人生の糧になるのだ。

それがお金になるとか、稼ぎになるとか、それで有名になるとか、何かよい作品がつくれるかどうかとかそういうことではなくて、生活の一部であり、生きることの糧なのだ。だから、本当はそんなことを気にする必要がないのに、そういうことを考えてしまうと、書くことが一気に面白くない作業になってしまう。

一度死んでしまった顔色の悪いゾンビのような文章ばかりが蘇ってくる。そうじゃなくて、いま生きているのだから、生きているままに書く。いま、この新鮮な空気を吸って、息を吐くように書く。それが書くということなのだ。

そりゃあ書くことで生計を立てることができると嬉しいし、賞をとって多くの人に認められるのも嬉しい。でも、小さい頃はそんなことを気にせずにいろいろなアートに取り組んでいた。その時はまさに天才的なアーティストだったと思う。ピュアな作品を無限に作り出すことができる天才だった。そこには、有名になりたいとか、お金が欲しいとか、そんな私欲みたいなちっぽけな考えはなくて、いつも広い広い宇宙とつながりながら、創作活動、表現活動をやっていたのだ。

それがよくて、それでよかったんだ、とジュリア・キャメロンの本を読んで思い出すことができた。
「いいね」の数だとか、どれくらいバズるかだとか、そんなことなんてどうでもよくて、少なくとも自分という読者はそこにいて、時に伝えたいたった一人の人がいて、そして、たとえその人が読まなかったとしても、それで、よくて。

それよりも、その人のために書くこと、自分のために書くことが何よりも愛おしくて、それを他人がどう評価するか、というのはあとからついてくるものなのだ。だから、余計なことは考えずにとにかく書く。書くことは生きることだから。生きるために今日も書くのだ。

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