うまくいかせることばかり考えてしまい、人生がうまくいかなくなってしまったとき
Feeling(今日の一言)
コロナもだんだんと収束に向かっていく中で、ようやく日常というものが見え隠れするようになってきたように感じる。でも、この2年間で傷ついた人たちはたくさんいるし、これからも、傷ついていく人も多いだろう。
何かそういう人のために役に立つことはできないか、と考えいたときに、フォトエッセイなんかをつくって、励ますことができたらな、なんて考えていたけれども、それの制作は一旦ストップしてしまい、そういう気持ちだけがぼんやりと残っていた。
そんなときに、noteの記事でも紹介したばかりであるが、『アンネの日記』という本に出会った。著者であり、主人公であるアンネ・フランクは、13歳から15歳の間、家族たち7人と隠れ家の中で2年間ずっと暮らすことになる。それは、ナチス・ドイツのユダヤ人狩りが行われていた時代で、アンネたちは、それから逃れるために、隠れ家の中で暮らすことを決意して、家から一歩も出ることのない生活を始めたのである。
家から一歩もできることができないという環境の中で、中学生・高校生くらいの青春期の子どもはどのようになっていくのだろうか? と思うと、このコロナ禍の子どもたちと重なる部分があるのではないかと思う。アンネたちに比べれば、まだ存在自体を隠す必要はなく、今ではオンライン授業などもあるので、外部とのコミュニケーションを取れるなどあるが、それでも、この閉塞した非日常というのは、共通する部分ではないかと思うのである。
そんな家に閉じこもっていた期間、彼女の時間は、彼女の成長は止まっていたのだろうか? もちろん、そんなことはなくて、心身ともに彼女は成長してくのである。
それが彼女の書いた日記からありありと読み取ることができる。それを見ると、人間は、若者は、どんな状況においても成長することができるんだ、と思えて、何かこのコロナ禍の閉塞した世の中にも希望があるのではないか、と感じられるのである。
コロナが収束したら、きっとこの期間は空白の期間だとか、失われた時代だとか言われるようになるだろう。でも、きっと若者たちは、この期間の間にも成長しているのではないかと思う。
大人たちが勝手にそういったレッテルを貼り、憐れんでいる間に、若者たちはきっとずっと自立した大人へと成長しているのではないだろうか。
残念ながらアンネに関しては、ゲシュタポに見つかり、強制労働収容所へと送られることなり、そこで生涯の幕を閉じてしまうが、もし、彼女が生きていたら、きっと広い世界で素晴らしい活躍をしたのではないだろうか。そして、現実にはそれができなかったけれども、彼女の残したものは、いまも多くの人たちに勇気や感動を与えているのである。
たとえ、どんな状況であっても、人は、若者たちは成長するのだ。それを信じさせてくれる素晴らしい作品に出会えたことに感謝です。
A world where everyone can live with peace of mind🌟