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生きるとはどういうことかに比べたら、どう生きるのかなんてちっぽけなものだ

『アンナ・カレーニナ』

今週はトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読了。もともと『君自身に還れ 知と信を巡る対話』(大峯 顯/池田 晶子)を読んで、興味を持ったのであるが、どこに哲学的な話が出て来るのだろうか? と思ったら、本当に最後の最後に出てきた。これのことか! と思ったが、どうしてこの最後のタイミングで、この話の流れになったのか・・・。

ある意味、アンナが亡くなった時点で、この物語は終わりに向かってよかった、というか、終わってしまってもいいくらいの物語ではないかと思う。でも、そこから急にリョーヴィンの思索の物語となって、リョーヴィンによる哲学の話になる。個人的には、小説にどう哲学の話が出てくるのか気になってこの本を読んだのであるが、これまたダイレクトに、リョーヴィンが哲学的な考え、思考をする。その思考をそのまま小説の中で言葉として表現する、というこれもまた不思議な印象を受けたが、でも、物語の終わりにそのような展開になるというのが、深いと一言で言ってしまうととても浅い感じがしてしまうが、この物語の余韻が粘り強く残っていることの要因にもなっているのだろう。

そこそこ長さのある長編小説で、恋愛ドラマ・人間ドラマを描かれているものが、最後にはそのような締めくくりとなる。誰も予期しなかった(もちろん、誰もそんなことは予期できるものではないのであるが)締めくくりになったのではないだろうか。それはトルストイ自身もそうなのかもしれない。単に物語としての美しさ、自然さを追求するのであれば、もっと他の終わり方もあっただろうから。

それでも、この哲学的な考えを、書かざるを得なかった何かがきっとあるのだろう。それは時代背景なのか、トルストイという人物がそうだったのか、それとも・・・。

恥ずかしながらトルストイの作品はこれが初めてなので、他の作品との比較ができないし、トルストイのスタイルというものもわからないけれども、でも、古典となって今も生きている力強さを感じる作品であった。

またゆっくりとトルストイの他の作品も読んでみたい。それにしても、たくさん読みたい本があり過ぎて、時間が足りない。人の死の物語を読むと、その儚さを想うが、でも、その儚さをリアルに感じるのは、いつもこういう時なのかもしれない。

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