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「感ずる」という事

解るようになること 

今週も小林秀雄全集を読んでいます。『美を求める心』『近代絵画』などを読むとどうしたらそのような心(眼)を持つことができるようになるのだろうか、と考えてしまいます。

小林秀雄は、『美を求める心』の中で、

極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措いても、見ることです。聴くことです。

「見ることです。聴くことです」と言われても、それはどういうこと? どう見ればいいの? どう聴けばいいの? と僕なんかは思ってしまいます。でも、ついつい方法論になってしまう、そういう見るという方法がある、聴くという方法がある。いますぐ誰でもできてしまうような、真似できてしまうような、何かテクニックみたいなものがあるのではないか? と。

でも、よく考えてみると、もちろんそういったテクニック、スキル的なものもないとは言えない。しかし、僕たちがスポーツをしている時に、こういう風にすればできると言われたところで、それがすぐにできるようになるわけではない。何度も何度も繰り返しているうちにそれができるようになる。野球選手がピッチャーが投げるボールを追う目と、素人の目では当然見えているものが違うはず。スポーツだけではない、画家の目と、素人の目は当然違うわけです。それが当たり前に見えているから、自分の見えているものだけが、見えているものと思ってしまうところ、そこに思い込みがあって、だから、そういうテクニックがあったり、方法論があったりすると思ってしまうのではないでしょうか。

そういう思い込みを外して、ただ、見ること。ただ、聴くこと。先ずそれをやらなければ始まらないと小林は言うのです。本だってそうです。昔読んでさっぱりわからなかった本が、何年か後に読んでみるとわかったりする。人は本というのは、わかるものだと思い込んでいる。日本語で書かれていれば日本人はわかるものだと思い込んでいる。ましてや、本屋の棚に置かれるようなものは、わかりやすく書かれている、自分にもわかるものだと思っている。しかし、そんなわけはなくて、日本語がわかるからと言って、その本に書かれたことがわかるというのは違うのです。

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