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②-2 音楽を創る時、ミュージシャンの脳内・周りで何が巻き起こってるのか/音楽は、人を救いもすれば、突き落としもするし、狂わせもする

音楽は、人を救いもすれば、突き落としもするし、狂わせもする

私がバンド活動で経験した事の全てです。

生音の迫力に興奮したり、感動したり、日常を忘れてストレス発散した事ってありますか?
ホント音楽の力って人の心を動かす凄い力ですよね。
演奏者側のステージ上でのアドレナリン放出量なんて、おかしくなるくらいの興奮で。そりゃあもう、たまらんのです。
私がそんな生音の魅力&魔力に取り憑かれ始めたのは高1の秋、そこから高校卒業までコピーバンドで活動し、大学に上がるとオリジナルバンドがやりたい欲が沸々と音を立てて沸き上がっていました。
何度かバンドを組むもうまくいかず、紆余曲折を経て、やっと地に足をつけて走り出すことができたのが2010年1月。

「絶えずBEATしろ」
という名前のバンドを始動させました。


私はギターボーカルを担当し、5年間でepとミニアルバムを数枚作り、東京・大阪・京都・神戸・名古屋のライブハウスに出演したり、2014年には台湾のspringstreamというフェスに出演したりしました。

『springscream出演時の写真』

*spring scream海外フェス出演のリアルな体験を綴った、2014年当時の記事はこちらで読めますのでどうぞ!

https://ameblo.jp/taeztaku/entry-11819272152.html

https://ameblo.jp/taeztaku/entry-11827650137.html?utm_source=gamp&utm_medium=ameba&utm_content=general__taeztaku&utm_campaign=gamp_paginationThumbnail

絶えずBEATしろでの活動は
夢にまで見た自分がやりたいことを謳歌する5年間でした。
様々な人達や場所に出会い、感動や称賛や批判を全身に浴び、メンバーと笑い合いぶつかり合い駆け抜けました。

やっと出来た自分のバンドが大事だった。
なんとか音楽で飯が食えるようになりたかった。
数ある情報、数ある選択肢の中、バンドにとって一番ベストな道を最短距離で進もうとした。

そして2014年8月、バンドは空中分解した…。

ベースは、活動後半のバンドがうまく進まない状況に嫌気が差し脱退。
ドラムは将来の為に手に職をつけようと違う道を歩む事になり卒業。
私自身も、メンバー間の意見相違による幾度ものぶつかり合い、誰かの気持ちが離れる事で音の調和が崩れる事、そんな悪い状況が続いた事でストレスが頂点に達し疲弊。
そしてバンドはバラバラに。

活動停止。
一人。
また、私は居場所を失ってしまいました。

それぞれの個性を大事にして音楽を創っていたけれど、バンドという煌めいて見えた世界で、誰かや何かに憧れ、どこかで自分もそうなれると信じていた我々は、無意識に周りと比較したり、俺らもっと上に行けるはずだと夢を追うのに躍起になって、いつの間にか「バンドという全体」が向上する為に個人個人が頑張るべきだっていう、私が忌み嫌っていたはずの全体主義に傾倒してしまっていたように思います。
バンドをやる楽しさと、お金を稼ぐ事と、自分がやってる事への誇り、それを一緒くたにしてテンションで駆け抜けるには無理があった。
音楽という本来「かたちのないもの」を、自分達で何とかして形にしようとしてしまった。
それが、空中分解に至った要因かもしれません。

唯一の大切な居場所を失った私は落胆しきり、
悔しさとやるせなさと自分の現状が許せない怒りとが綯い交ぜになった、ドス黒い感情の呪いを抱え、奈落の底がどこだか見当もつかないまま底の底まで私は堕ちていきました。
やがて身体に異変が起きました。
左瞼の上に帯状疱疹が出来て、菌が目に入り、たまに後頭部をバットで「ガンッ!」て殴られるような衝撃が走るようになり、左目は網膜壊死になりかけました。

音楽に触れたくない。
切実にそう思いました。
音楽を手放し、私の人生から音楽が消えました。
精神崩壊寸前でした。

▼▲第2リセットボタン▼▲

私はこれまでに精神が崩壊する一歩手前まで陥る事が何度かあって、その度何故か私の中の何かが歯止めをかけてきました。すなわち死には至らずギリギリの所で、生きられるように救済機能が発動する。
あの時も満身創痍の状態から、私の中の何かが生きるための活力を自然と欲したのか、以前から他の分野の芸術に触れてみたかった事を脳が記憶として炙り出しました。

美術、映画、落語、服飾、インテリア等々…

縋るように様々なものに触れて行きました。
刺激に溢れ、感動する日々が積み重ねられていきました。
そんなある日、映画館に赴き何となく選んで観たのが

クリストファーノーラン監督作
「インターステラー」

既成概念から遥か彼方へブッ飛んだ宇宙と次元と時間の映像表現に、
「!!!!! なんだこりゃ……!!!」と口開きっ放しスタイルでかぶりつき、家族に対する愛というものの表現に打ちのめされました。
未来というものをまざまざと映像で見せつけられた私は、号泣していました。
しばらく席から立てなかった。

そして今も鮮明に覚えているあの瞬間。
渋谷の旧シネクイントを出て、スペイン坂を下りセンター街のごった返す人熱れを交わしながら帰路を急ぐ時、頭の中で言葉がブワーっと溢れ出しました。
ヤバイ!忘れないように書き留めないと!と、携帯を取り出し一文字目を押すその刹那に
【第2のリセットボタン】が押されました。

あの時書き殴ったメモの抜粋

俺は過去をコレクションしまとめるのに力を入れすぎていた
俺が眼で見ている景色や人物全て過去だとしたら…
見た瞬間→目に写って頭で分析→それを過去のストックからそれが何なのかを判断し理解。
何かを認識するまで、どれくらいの時間がかかってる?

瞬間という今・現在を感じている気になってるだけで、本当の「今」は認識した時にはもう過ぎ去っている。
気付く前の感じた状態。
それが本当の今現在なのだ。
あるボーダーに気付いて、全ての事をそのボーダーで判断してしまっている…
そこから離れなくては
今目にしてるのは全て過去で、未来が創れるのは俺の中でだけなんだ。
何かに対して感動するのは誰かが作った未来を感じた時にだけだった
だが感動したものも時が経てば飽きてくる
だから俺には常に未来が必要なんだ
人が新しいものを求めるという本能がある限り未来は絶対に必要なのだから。
誰かの作った過去で、摩擦のないように生きていく術を刷り込まれ、それに従い生きてきてしまった。
間違いだった。
誰かの作ったこの過去を知った上で、俺は摩擦をどう起こし切り拓くのか
それが未来を創るってことなんだ
過去という経験から判断することを拒否し、直感という未来を信じろ
過去に殺されるな
俺は未来を創ろう

ここには
生きていく希望を見つけた喜びが書かれています。
クリストファーノーランが創り上げた今まで観たこともない驚愕の映像に、「未来を創るっていうのはなんて凄まじく、なんて美しいんだ」と痛感しました。
呪縛と化した辛い過去による音楽へのトラウマが、あの夜、音楽以外のモノに呆気なく洗い流されてしまった私は、体内になぜかマグマみたいな活力が込み上げて来るのを感じていました。
自分の直感を肯定し、この手で未来を創っていく事を生きる糧としようと決意したのです。

しかしこのメモ…
今読むと、暑苦しくこっぱずかしくツッコミたくなる箇所がいくつもあり、noteで公開するか悩みましたが、
「音楽を創る時、ミュージシャンの脳内や周辺で何が巻き起こったのか」というテーマで書いてるのと、当時ギリギリの状態の私にとって、この先を生きる為にとても重要な事に気付いた瞬間で、今後の音楽活動にも多大なる影響を与える転換ポイントだったので、ここに記そうと思い公開しました。

部屋に帰り
耳を塞ぎ、目を閉ざし、口を噤んで、心と対話する事にしました。
音楽から遠く離れ、別に音楽なしでも生きていけた
音楽を選ばなくても、やれる事なんて沢山ある
それを大前提に自分の心の奥底と向き合う。

行き着いた答えは
「それでも音楽が創りたい」だった。
あんな色々な目にあってでもやりたいなら、もう辞めるまでやるしかないんだろうって腹を括る。
自分を信じる絶対に崩れないが私の中に建った。

音楽とは、結局何なのでしょうか?
ここまで続けてきても、まったくよく分からないし分かりたくもない。
だけど、音楽を創る事が私にとっては幸せなのだということは痛いほど分かったのでした。

そして2020年4月コロナ禍、緊急事態宣言発令の最中
第3のリセットボタンが押されます

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