宿題をするのって当たり前?宿題のないの国の教育から考える
こんにちは。
元大手進学塾トップクラス担当講師で、現在はニュージーランド在住の受験&国際教育コンサルタントのTakuです。
先日ネットを見ていたらこんな記事を見つけました。
「宿題のない学校」
この記事に目が行ったのは、
私の住むニュージーランドの小学校では宿題がないから。
日本でも宿題のない学校ができたなんて!と思って、
思わず熟読してしまいました。
あなたは宿題があるのは当たり前だと思いますか?
よかったら一緒に宿題について考えてみましょう。
宿題って誰のため?
ちょっと思い返してみて下さい。
中には宿題を好きでやっていた方もいるかもですが、
ほとんどの方はイヤイヤだったのではありませんか。
今も昔も宿題が好き!という子どもは、
とても少ないのが現状だと思います。
それもそのはず。
宿題は子どもの意思に関係なく、
教師が一方的に課す義務だからです。
はっ?そんなの子どものために決まってるでしょ?
あなた、何言ってるの?
そう言いたくなる方も中に入るかもしれません。
確かに「常識」で考えたらそうでしょう。
でも少し深く考えてみると、
決してそうは言い切れないと思います。
これは複数の現役の先生から聞いたセリフです。
そしてこの感覚は私自身も過去に何度も、
体験したものでもありました。
宿題をたくさん出すと多くの保護者は、
子供に勉強する機会を与えてくれたと、
安心することが多いものです。
だからこそ教師はそうした保護者のニーズに合わせて、
子供たちに宿題を出すことがあるのです。
ベテランの講師なら誰でも、
宿題を出す必要がない時もあることを、
何度も経験しているはずです。
私自身も塾で指導していて、
何人かの生徒はこの分野をきちんと理解しているので、
宿題は不要だと判断したことがあります。
しかし宿題を出さないと決まって保護者から、
どうして今日は宿題がないんですかと言うクレームを、
何度もいただいたものです。
それで仕方なく宿題を出すのですが、
そのたびに一体誰のために宿題を出しているのか、
わからなくなった経験があります。
宿題って何のため?
そもそも宿題って何のためにあるんでしょうか?
私は個人的に宿題とは、
授業内でやりきれなかった部分を、
補強するためにあるものだと捉えています。
それはあるときは演習かもしれないし、
ある時は知識の記憶かもしれません。
いずれにしても何らかの不足があり、
その生徒にとって授業外で追加で、
何らかの追加が必要に出すものでしょう。
それでなくても子供にとって宿題は、
義務感が強いものなのですから、
出さないに越した事はないはずです。
とすれば必要がないのに、
保護者の満足のためだけに宿題を出すなど、
一体何の意味があるのでしょうか?
保護者にとっては少しでも多くやった方が良いと、
量を求める気持ちもわからないでもありませんが、
無駄に量を増やして質が低下しては本末転倒です。
私は本来宿題と言うものは、
可能な限り0に近づけていくことが理想であり、
宿題が多い方が良いと言う発想はナンセンスだと思います。
宿題がない国のリアル
現在住んでいるニュージーランドの小学校では、
宿題はほとんど出ません。
時々英語の音読が出る位で、
それ以外の宿題はほとんどありません。
夏休みの宿題などあろうはずもなく、
夏休み=休み(遊びの時間)と捉えられていて、
先生も宿題を出すと言う発想がありません。
もちろんそれを保護者も受け入れていて、
宿題がないことにクレームを言う人は、
この国にはほとんどいません。
結果どうなっているかと言うと、
自分から勉強したいと言う子供以外は、
家ではほとんど勉強していません。
こう言うと、
「ほら見たことか。だから宿題は大事なんだ!」と、
非難の言葉が飛んできそうですね。
そうおっしゃる方の顔が今にも、
ありありと目に浮かぶようです(笑)。
私は残念ながらそうは思いません。
なぜならその発想には、
勉強が1番大切と言う固定観念があるからです。
宿題がないから勉強しない代わりに、
この国の子供たちは自分の大好きなことに、
時間を徹底的に費やします。
その結果日本のような平均的学力は身に付きませんが、
自分の好きなことを伸ばしていくことができ、
将来の進路を見つけやすくなります。
私自身も驚いたのですが、
我が子の小学校の卒業式では、
ほぼすべての生徒が将来の進路を語っていました。
どちらが正解とは言いませんが、
宿題をやり続けて学習意欲が低下して高校になっても、
進路さえ決まらない子供を量産するぐらいなら、
私は宿題などないほうがいいと思います。
発想の転換をしませんか?
宿題がない世界は、
親が思っているほど悪いものではありません。
もちろんその過程で、周囲の大人たちは、
子供の問題解決法について、
様々なサポートをすることができるでしょう。
大人主体で宿題を課すのではなく、
子供主体で自ら学びを見出し、
大人はそのサポートに徹していく。
そんな循環が生まれていけば、
子供が勉強しないなどと嘆く親は、
激減していくと私は信じています。
もちろん、その「勉強」の中身が、
親が期待する受験勉強だけでないことが、
大前提ではありますが(笑)。
まとめ
いかがだったでしょうか。
宿題は出て当たり前、
やって当たり前と言う発想が、
意外と当たり前ではないとわかってもらえましたか?
物事は見方を変えさえすれば、
全く異なる側面が見えてくるものです。
私の住むニュージーランドでは、
このように見方を変えて問題を捉える、
「批判的思考力」を重視しています。
そのような思考停止の子供たちを、
これからも大量生産していけば、
グローバル世界では通用しないでしょう。
子供たち自身が自分の頭を使って、
自ら問題を発見し解決していく、
そのようなスキルこそこれから必要となります。
その意味でも宿題が当たり前と言う発想を、
私たち親は少し見直す必要があるのではないか、
私は個人的にそう思っています。
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