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海外の賢い子と日本の賢い子の決定的な差とは? 〜海外で思い知った日本の子に欠けている資質

こんにちは。
元大手進学塾トップクラス担当講師で、
現在はニュージーランド在住の受験&国際教育コンサルタントのTakuです。

日本の進学塾でトップレベルのクラスを担当し、
これまで沢山の「賢い子」を見てきました。

頭の回転が早く利発な子どもたちに、
賢い子っていうのはこういうことを言うのかと、
当時はずいぶん感心したものです。

でも海外で長く暮らすうちに、
その「賢さ」の一部に少しずつ、
疑問を持つようになってきました。

そこで今日は日本の「賢い子」と、
海外で見た「賢い子」を比較しながら、
日本の子に欠けている部分を考えてみたいと思います。


自分の意見がない(全て借り物)

海外の子供たちと接していつも感じるのは、
自分の考えていることを明確に、
他者に伝えると言うことです。

どんなこともで自分なりに考えて、
はっきりと自分の意思を示します。

それは時に大人から見ると、
稚拙で取るに足りなく見えることもある。

私自身もお恥ずかしながらかつては、
海外の子は日本の子に比べて、
思考のレベルが低いなと思ったものです。

でもそれから日本と海外の子の両方に、
指導を続けていく中で自分が、
大きな勘違いをしていたことに気づきました。

それは日本の賢い子が話していることが、
大人からの借り物であると言うことです。

言葉を変えて言うならば、
自分の経験に基づかない意見であり、
他人の受け売りに過ぎないのです。

さもたいそうなことを口にしても、
その根拠を尋ねるときちんと答えられず、
挙句「〇〇さんが言っていた」となる。

それは意見を持っているのではなく、
誰かの意見を知っているに過ぎません。

言い換えるなら彼ら自身は、
自分で考えた意見を持っていないことが、
多々あることに気づいてしまったのです。

これは私にとってはあまりにも、
ショックな発見でもありました。

対話ができない=解決策を探れない

こうした意見の拝借に慣れた子どもは、
その借りてきた意見をさも、
自分の意見のように主張します。

しかしその意見がどういう過程や背景を経て、
生まれたことを理解していないので、
その本質を理解していません。

結果半ば盲目的にその意見を、
正しいと信じ込んでしまうため、
他の意見の受容が難しくなりがちです。

自分の意見こそが常に正しいものであり、
そうでないものはすべからく間違っていると断じる。

だから議論も自分の信じる意見を、
そう正当化するかしか考えないため、
論破することばかりに目が行きます。

なまじ賢いので論理的思考力が高く、
この傾向はさらに強化されてしまい、
妥協の余地も無くなってしまうのです。

これこそが日本のメディアでもてはやされる、
論破王なる人々に子供達が、
憧れる大きな理由になっているのでしょう。

しかしこの傾向は絶望的なほど、
非生産的であると言わざるを得ません。

なぜならどんな議論も本来は、
相手を論破するためにあるのではなく、
相手との妥協点を探るためにこそあるからです。

実際に論破王の皆さんの議論は、
一方的に相手を非難することに終始し、
生産的な結論は得られないことが多いものです。

もし彼らが政治家になって外交をしようものなら、
解決策は戦争で相手を滅ぼすこと以外、
なくなるのではないかと思うほどです。

論破ではなく対話を重視しよう

海外ではこうした非実用的な論破王は、
ほとんど評価されることはありません。

また議論が白黒はっきりつけられないことも、
多くの人々が共有している価値観です。

小さい時から他者の意見を借りるのではなく、
自分の頭で自分なりにしっかり考えさせることで、
拙くても自分独自の意見を持てるようにする。

その教育を通して彼らは、
経験に裏打ちされた意見を考えられるようになり、
結果他者の意見への寛容性も身につけられます。

この過程は他者との議論を通して、
双方が納得できる妥協点を見出せるスキルを、
習得していくのだと思います。

思えば論破されて嬉しい人間など、
世界中のどこにもいないですよね。

無駄な争いを増やす種にもなりかねない論破より、
他者との共存を目指せる議論の方が、
誰が考えても生産的なはずです。

そう言う意味でも私たち親は、
こうした論破に憧れる子供たちに、
議論の本質をしっかり教えていきたいものです。

そのためにはまず親自身が、
他者の意見を使う代わりに自分自身に頭で、
しっかり考える訓練を積む必要があるでしょう。

そして相手を言い負かすことの無意味さを前提に、
妥協点を探ることを目指して話し合うスキルを、
磨いていきたいものですね。

その上で子供たちともどんどん、
そうした生産的な議論を重ねていきましょう。

きっとその過程こそが、
真の「賢さ」を持った子どもに育ててくれるはずです。

まとめ

さていかがだったでしょうか。

海外の人々は議論が得意な人材が豊富ですが、
それは論破では妥協を目指した話し合いに必要な、
自分で考えるスキルがあるからです。

日本に多くいる賢い子供は、
大人の借り物の意見を正解と思い込んで、
自分の意見を死守するためだけの議論をしがちです。

しかしそれは知識を持っているだけで、
自分自身で考えることをしていないので、
他者との軋轢を生みがちです。

そうならないためにも私たち親がまず、
率先して自分なりの意見を持つ努力を、
重ねていきたいものですね。

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