演劇部の宿題で脚本書かなくちゃいけない6 カレーを作ってたらどうかしている父親が意味の分からない
ことを言ってサンマを入れようとしてきて困る。の脚本を中二になったばかりの息子がコピー用紙の下書きではなく原稿用紙に書いて持ってきた。
読んで!というので
読んだはいいが、一つ問題がまだ残っていた。
家族は夫、妻そしてその子ども達で構成され、夫は外で働き、妻はうちを守るという形態が昭和の時代には一般的だった。
それが時代が移り変わるにつれ、妻も外で働く共働きの世帯が増加。
ただ、家事や子育ては妻が主に行うものだという社会的な合意があり、妻の側の負担が極端に過剰になる状況が発生する。
そこで父親にも同じだけの負担というか、家族なんだからその構成員で協力して家事を分担するべきではないか?
ていうか、世間の常識とかいう固定観念から物事を決めるのではなく、夫と妻その双方の話し合いの上で役割分担を決めて仕事やら家事やら子育てを行っていけばよいのではないか?
そうは言っても話が通じない、話し合い自体が成立しない、夫の側にその必要性がまったく理解されない、トイレットペーパーぐらい仕事の帰りに買ってきてくれてもいいはずなのに、補充するのはいつも私。そうなると夫がいてもただただ負担にしかならないからもう離婚するわ。などなど状況はいろいろあるんでしょうね。
一人一人の個人が、どんな生き方をするのか最終的には自分で決めて自分の責任でもって生きていく。それが大人で、そういった大人の男と女が結婚してお互いの合意の元、家族を作って行く。そうできるのであれば家族の形は家族ごとに違っていておかしくない。
常識とか世間とか、大人にとってみたら重要性は低い。
というのがこの令和の時代にふさわしい考え方であってほしい。あなたはどのようにお考えですか?
で、実際僕のうちは妻の仕事の関係で夕飯の準備は僕と子ども達で行う。
それが普通なので、話の中で主役の中学生が当たり前に夕飯を作っている。
で、母親は暖かく見守っていることになっているが、なにもしない。
まだ旧来の家族観にとらわれている普通の人にとってみたら、この設定は不自然かもしれない。
と言うわけで僕は提案した。
カレーに「男の」を足して「男のカレー」にしよう。
「男の」がつくことで、その日はいつもとは違って男性陣が料理をするという意味合いがでてくる。
これで、母親がその日は料理を作らない理由が説明でき、普通の人にも不自然さなく話が通じる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?