見出し画像

銀行の起源は両替商が使ったカウンター

歴史を学んでいると、たまに「これまんま役に立たなそうだけど面白いな」という事柄をよく見かける。今回はそのうちの一つ、「銀行の起源」についてお話ししよう。

銀行は英語でバンク(bank)と呼ぶが、そもそもなぜバンクと呼ぶのだろう?

私も別に考えたことはなかったのだが、確かに言われてみれば、お金を扱うところだし、日本語でも銀行と呼ぶから、「マネーなんとか」とか「何々シルバー」みたいなお金に絡む名前でもいいのではないかと思う。そんな中で、「バンク」という何ともお金に結びつけづらい名前がついているのはどうしてなのだろうか?

結論から言うと、銀行が英語でバンクと呼ばれるのは、十三世紀のヨーロッパにおいて、交易の拠点で主に活動している両替商が使っていた木製のカウンターの名前が起源になっている。

十三世紀のヨーロッパの交易事情は、地中海から大西洋へと抜けるジブラルタル海峡が宗教上の対立による影響で封鎖されていた。したがって当時のヨーロッパは、世界と交易するときに海路を使えず、陸路で行うしかなかった。

陸路で交易する際、主に使われていたルートは二つ。一つはフランス南部のマルセイユからローヌ川沿いに北上するルート。もう一つは現在のベルギーの国土の大半を占めるフランドル地方から南下するルート。この二つのルートを使って、アフリカからの金や象牙、アジアの絹や胡椒などがヨーロッパへ輸入された。


マルセイユから北上するルートとフランドルから南下するルート

この二つの南北ルートのちょうど中間地点に位置していたのが、フランス北東部のシャンパーニュという地方。シャンパンの原産地でも知られるこの地方が、十三世紀当時は交易の拠点として栄えていた。

ここで重要なのだが、交易に限らず、不特定多数の他人に向けて商売を行うとき必ず問題になるのが、通貨の違い。
自分の国では日常的に流通している硬貨が、お隣の国に行ったら全く使えず、その国で流通している別の硬貨を使わなければならないというのが、この時代とにかく商人の頭を悩ませていた。

交易の拠点に外国の生産品が持ち込まれるとき、取引をスムーズに行うためには通貨を両替する必要がある。そこが登場するのが両替商という人達だ。彼らによってヨーロッパ各国が支払う通貨が外国の通貨に両替され、逆に外国からヨーロッパ支払われた通貨がヨーロッパで広く使われる通貨に両替されるようになった。

両替商たちは当時、お客と両替をするために木製のカウンター(台)を使っていたという。このカウンターのことを、交易の拠点が集中していたイタリアの言葉で「バンコ」と呼んでいた。これが現在の「バンク」の起源である。

つまり銀行というのは、元々は両替所として始まったということなのだ。しかも名前の由来は、両替商が使っていたカウンター。
別に役には立たないが、知ってみると意外と興味深い。

ところで、なぜ広い海・大西洋へつながるジブラルタル海峡が閉鎖されていたのは宗教上の理由からだと話したが、これは言わずもがな、キリスト教とイスラム教の対立である。

ジブラルタル海峡は現在のスペイン・ポルトガルが領土を構えるイベリア半島とアフリカ北部度の間にある狭い海峡だが、十三世紀当時、イベリア半島にはまだスペイン・ポルトガルという国ができておらず、アンダルスという名でイスラム教が支配していた。北アフリカも同様に今のように独立したアフリカ国家があったわけではなく、イスラム教が支配をしていた地域だった。

つまり、この当時は今で言うスペイン・ポルトガルの地域がヨーロッパの一つという見方をされていない。そのことによって、イスラム圏の国々は、ジブラルタル海峡が交易の要所となり得ることも理解していたので、その利権を守ろうと海峡を封鎖していたというわけだ。

ここから分かることは、思想の違いで揉めると、時には自由な交易すら阻害されて豊かになれる機会を逃すことになる、ということ。

「宗教の上の対立は歴史が長いから複雑で、理解は難しい…」というのは確かにあるかもしれないが、キリスト教もイスラム教も、結局は昔からたくさんある神話のうちの一つに過ぎないので、「物語の一つであり、メンタルの安定にも多少使える」ぐらいの感覚でフラットに接したほうが、同じ一神教でもいがみ合う必要は無くなるんじゃないだろうか。

どちらといえば、宗教の対立よりも交易が自由にできなくなることの方が、人が豊かに生き延びれる機会をみすみす失ってマズいのでなんとかした方がいいのではと私は思う。

ということで、「銀行の起源は両替に使うカウンター」だったという話と「思想の違いで揉めるより、交易して豊かになることを考えませんか?」とという話をしてみた。雑談のネタにでも使ってくれたら嬉しい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?