初めての別れから15年

4月となり、新生活が始まった方々が多く、
出会いの季節ではありますが、、、

今回は、タイトルにもあるように「別れ」について話していきます。

3月30日、祖母が天へと旅立ちました。
4~5年ほど前から、癌を患い、手術によって取り除きはしたものの、
すでに転移している部位もあり、手術は困難と判断されました。

よって、抗がん剤治療をすることになりましたが、副作用が強く出てしまい中止となり、
癌が先か寿命が先か、といった状況となりました。

そんな中でも、祖父母は残された時間を、自然な環境で好きなものに触れて、のんびり過ごしたいということで、山がすぐ近くにある自然に囲まれた家に引っ越します。

その環境で3年間暮らし、徐々に祖母の容態も悪くなっていきました。
悪くなっていく中で、認知症の進行もあり、子の名前が出てこなくなってしまったのです。
しかし、そんな状態でも祖父の名前だけは必ずつぶやいていたのです。

病院の方へ、入院したのも3月の初め頃、ご飯は食べれていましたが、
2週間後には、食事がのどを通らなくなり、水分のみ摂取。
その約2週間後、ついに水分がのどを通らなくなった翌日が、
始めに述べた日となります。

私が、かけつけたのも火葬する日でしたので、亡くなってから2日後です。

棺桶の中に顔を覗き込むと、祖母が眠っています。
今にも起きそうな本当に自然な表情をしているなと感じたと同時に、
もう会えないことを痛感し、急に悲しみが押し寄せてきました。

家族の死とは悲痛なものだと感じました。それは、今までともに過ごしてきた記憶があり、いい思い出・悪い思い出も含めてよみがえってくることで、
思い出を振り返ること以外にできることがないからと実感してしまうから。

それでも、送り出さなければなりません。
火葬が終わり、納骨していく時、本当の意味で祖母の旅立ちを実感した。

姿があれば、まだそこに居るような気がしていました。でも、そこにあるのは祖母の姿だけです。

祖父母の家まで行き、仏壇の前で念仏が唱えられ、いよいよ終わりを迎えます。すべてが終わるのと同時に、肩の力も抜け、改めて仏壇の前に面を向けると、
そこには、とても笑顔な祖母がたてられていました。

心の底から「よかったな~」と思いました。

私は、小学2年生の際、曾祖母を送り、それから15年ほど経て祖母を見送りました。
人の死は常に隣り合わせであり、友達・家族・親戚、誰がいつ亡くなるかはわかりません。
経験が少ない事柄であるからこそ、自分はどういった送り方をしたいのか、
どういう思いで送り出したいかを考えておく必要があると感じました。

そして、葬儀は人の数ではなく、どれだけ気持ちがあるかであるなと思います。

よく、アニメなどでも聞くのですが、その人を忘れなかったら、その人の中で生き続けるということも何だかわかるような気がします。

物心ついてから初めて経験することであり、死について考える機会ともなりました。
これから先も、身近な人が自分より先に旅立つ可能性は限りなくあることのため、しっかりと向き合っていきます。

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