等身大の自己紹介
現在のこと
はじめまして。後藤拓(ごとうたく)と申します。1992年11月、岐阜県生まれの31歳(2024年10月現在)です。
現在は都内のIT・WEB企業にて人事として働きながら、ライフキャリアカウンセリングを個人の方に提供しています。
根底で、ご縁がある方が「自身の可能性を信じて、理想の将来に対して納得感ある日々を積み重ねていけるよう支えるパートナーでありたい」という想いを大切にしています。
過去のこと
生まれは、岐阜県の安八郡安八町というめちゃくちゃ田舎というわけでもないが、全然都会感もないどっちつかずなところ(東海道新幹線の岐阜羽島駅という駅が最寄りと言ってイメージしていただけたら嬉しいです)。ただ生まれてから大学卒業まで育ってきた場所であり、今でも大好きなふるさとです。学校の帰り道で色んないたずらをしたり、秘密基地を作ったり、地域の色んな人達に可愛がってもらったり、好きな子と一緒に帰ったり、失恋したときには友人に慰めてもらったりと、思い出いっぱいの場所です。
小さい頃からじいちゃんに「やんちゃ坊主」と言われ続け、学校から帰って来たと思ったらランドセルを玄関に投げ捨て、2秒で外に遊びに行くという、活発を絵に描いたような小学生でした。
僕は次男なんですが、兄がサッカーをやっていたことから、真似るようにサッカーを始めて、めきめきと力をつけて気がついたらチームでキャプテンをやっていたり、○○カップで得点王になっていたり、上級生の試合に助っ人として出場するくらいになっていました。
チームの誰よりも練習に真剣に取り組んでいて、誰よりも試合で勝ちたいと思っていたからこそ、そこまでの温度感は持っていなかったチームメイトと距離があり、孤立していたなと思います。
中学生では、今までとは違うことをやりたくなり、急遽バスケに転向。「当然、拓ちゃん(僕のことです)は中学でもサッカーをやるだろう」と感じていた周りは驚いていました。そこから、まためきめきと力をつけていき、気がついたらバスケ部でキャプテンになってました。感情むき出しでプレーしていたので、一時、部活のある先輩に目をつけられていたのは今振り返ると良い想い出です笑。そして、キャプテンになった自分はまたまた一番勝ちたいという想いが強くて、なんとなくながして練習をやっているチームメイトをよくけなしていました。過去の失敗から全然学びませんね笑。まさにスラムダンクの赤木みたいな状態でした。
そして、部活は引退して高校受験の季節がやってきました。自分の実力的にきっと受からないだろうなと思いながら第1の志望校は譲らず挑戦。結果は、あえなく撃沈・・・。人生甘くはありませんね涙。完全に努力不足でした。一緒に合格発表を見に行った母親が自分より先に自分の受験番号が合格版にないことに気づき、力強く自分の手を握りしめてくれたことを今でも覚えています。「あぁ、終わったな自分の人生・・・」と自分の可能性を見失い、人生で初めての挫折経験をしました。
そして、滑り止めだった私立の学校に行くわけですが、結果は伴わなかったのにプライドだけは高い当時の自分は、滑り止めの高校の制服を着るのが嫌で嫌で仕方がありませんでした。
そんな心ここにあらずの状態で高校に通っていた自分でしたが、とある現代文の先生との出会いが自分を変えてくれました。その先生がテスト用紙の隅っこに書いてくれた「後藤くんは、真っ直ぐですごく良い目をしている。これからどれだけでも伸びていけるよ」という言葉に感動を覚えて、もう一回自分の可能性を信じて頑張ろうと決めて、勉強に打ち込むことになりました。親に予備校にも行かせてもらい勉強を重ねて、第1志望の大学の過去問では毎回合格点が取れるくらいに成長しました。
迎えた大学受験。第1志望の大学の結果は・・・またしても不合格。人生二度目の挫折でした。これだけやったのに結果がついてこないのか、と撃沈しました。人生は甘くないというか、もはや苦い笑。
そして、滑り止めとして合格していた大学に通うわけですが、今度は「不甲斐ない自分を塗り替えるんだ」という気持ちで、最初からとことん色々やってやろうと動きました。学部での勉強、アルバイト、留学、海外インターン、一人旅、ヒッチハイク、その他色々。専攻は外国語(英語)だったんですが、入学当初の真ん中くらいのクラスから、文字通り英語漬けの毎日を送り、自然とやや上のクラスをぶち抜き、気がついたら帰国子女ばかりのトップのクラスに。TOEICは最初受けた時から400点くらい上がって900点ほどをマークしました。
大学時代はもう数え切れないくらい色んな方々にお会いして、お話しをさせていただき、時に愛の鞭含めて、本当にたくさん良くしていただきました。お一人おひとりとの出会いで今の自分があると、感謝しています。
そして、特に「中学・高校・大学色んな学校でキャリアに関する授業をする」学生団体の活動は想い入れを持ってやっていました。というのも、自分の原体験として、このnoteで綴ってきた通り、人生の色んな局面で挫折経験があり自分の可能性を信じられず腐っていたんですが、未来に向かって前向きに生きる希望を与えてくれたカッコいい大人の存在があり、今度は自分が逆の立場として、人に対して何か活力となるようなエネルギーを届けられるような活動がしたいという想いがあったからです。
月日は流れ、色々と動く中で気がつくと就活の時期。大学時代に色々と活動していたことを面白いと言ってくださる会社さんがあり、2〜3社の会社からオファーをいただくことができました。ただ当時の自分は尖っており「自分で何かやりたくて、そのためのフィールドがほしい」とずっと思っていました。そんな中で大阪のとあるデザイン会社の社長さんとのご縁があり、「長野県白馬村でプロジェクトをやろうと思ってるから、拓ちゃんよければ一緒にどう?」と声をかけてもらい、単身移住することになりました。
我ながらすごい行動力だと思います照。そして、大学まで出て、新卒というゴールデンチケットを捨てて、なんでフリーターになるの?と当時は言われましたし、今でも言われます。そのプロジェクトには会社員として雇われていたわけではないので、現地の観光ホテルの支配人の方に「働かせてください」とお願いをしに行き、レストランのウェイターのアルバイトをやりながら、それ以外の時間で地元の情報を発信したり、ツアーイベントの企画実行をやっていました。物件からはじまり、自転車、テレビ、服、キッチンコンロ、車、そして食事などなど、本当に色んな方々に良くしていただいたおかげで、冬にはマイナス14度になる極寒の地で、無力で貧乏だった新卒フリーターの若者はなんとか生き残ることができたのです涙。
仲間とともに企画したイベントが、現地白馬の経営者の方や東京の人材・教育会社の経営者の方にお力添えいただき、新聞やテレビに取り上げられ、日の目を浴びることも出てきましたが、段々と「果たして自分は同世代と比べて然るべき成長ができているんだろうか?」と疑問を持つようになりました。
そして、色々と考えた末に(株)リクルートに転職することにしました(自分にとっては初の会社)。白馬時代は、GWも、お盆も、年末年始もなく働いていたので、初めて会社員になり、「有給ってすごいな!会社のお金で新幹線で東京に行けるのか!しかも、ホテルまで取れる!」と衝撃を覚えました。研修で東京に行った時は、地元から東京までの新幹線の中で、少し涙がこぼれたのを覚えています。
リクルート時代は、先輩・上司に本当に恵まれて、毎日刺激的な日々を過ごしていました。入社初日の挨拶で「タイトルを取ります!と宣言して不器用ながらも周りに応援していただきながら、がむしゃらに営業活動をして、(土日にも飛び込み営業活動をして※秘密)、なんとかタイトルを穫ることができました。そんなリクルートは今でも大好きな会社です。
リクルートでの仕事にも慣れ、自分がそろそろ中核メンバーという頃「今やっていることと、これからやっていきたいこと(自分が人生通してやっていきたいこと)に大きなギャップ」を感じるようになりました。ずっと悶々とする気持ちを抱えていました。
そこで、「学生さんを対象としてキャリア支援がしたい」という軸で2回目の転職活動をすることにして、色々な会社を見た上で、新卒学生向けエージェント事業を行うベンチャー企業に入りました。CA(求職者担当)からはじまり、RA(企業側担当)、そしてマネージャー業務と、ここでは書き切れないくらいの濃厚な経験を積まさせていただきました。
3年ほど働きながら、エージェントとして個人(求職者)の支援に関して、ビジネスモデルから限界を少しずつ感じるようになり、窮屈さを感じるようになりました(語弊がないように補足すると、エージェントが一定の価値を生み出している存在であることは確かです。求人紹介自体に善悪はなく、求人紹介の目的と求職者の方の状況によると思ってます)。具体的には、求職者さんとの面談を行っていて、求人紹介以前に、自己分析や自己理解を徹底的に行い、その上で未来を見据える、それから求人エントリーをした方が良いのにと感じる方は少なくありませんでした。とはいえ、こちらとしても、面談時間が限られていたり、担当者数を考えるとなかなか一人ひとりに対してとことん時間を投下してサポートすることは難しく、葛藤することがありました。また「求人紹介」という手段でしか求職者のためになることができないもどかしさを感じていました。
この経験から「キャリア支援は、支援者側とクライアント側(個人)の二者間だけの関係性がより理想である。就活・転職・残留・副業・起業などは手段でしかないから、それ以前の自己分析・自己理解を踏まえての人生設計が重要である」という考えに至り、現在はこの軸をもとに活動しています。
未来のこと
今後に関しては、「人の可能性を信じて、未来に向かってともに伴走する存在でありたい」を想いを根底に持ちながら、人事として仕組みを通して「会社で働く人たちを守り、支え、そして輝けるよう貢献していきたい」と思っています。また一般の個人の方に対しては、ライフキャリアカウンセリングを通して、「まずは自分を理解して、その後、理想の人生プランに対してともに伴走していくサポートをしていきたい」という想いがあります。一言でいえば、「人がイキイキと生きていくことに対して少しでもお力添えができれば」と思っています。
自分自身に焦点を当てると、「人と深く繋がり、想いを感じ、想いを重ねて、共に動いていくこと、が大事な核なる想いであり、人生を通して貫いていきたい。また未知なるものに対して、好奇心や高揚感を感じながら自身の世界を広げていきたい」という想いがあります。
最後に
今回のnoteを書きながら改めて「これまで本当に多くの方々にお世話になり、その一人ひとりとの出会いが今の自分をつくっている」と強く感じます。礼儀知らずで、自分勝手で、生意気な自分を受け入れ、良くしてくださった方々に感謝でいっぱいです。出会った人に恵まれてきた人生です。
ここまで読んでいただきお分かりいただけたと思いますが、ぼくは失敗や挫折経験が多く、世に言うところのエリートではありません。実績っぽい結果も、泥臭く、不器用ながら努力し、周りの人に応援していただいたこそで、スマートにやってきたわけではありません。比較的短期での退職もありましたし、割と飽き性な性格をしており、一度行動のスイッチが入ると止まらないところがあります。そのせいで色んな方々に心配や迷惑をかけてしまったこともあると思います(すみませんでした)。ただ大学時代から感じている「人の可能性を信じて応援する」という軸は、手段は変われど、変わらず自分の中にあります。
このnoteを読んで何かピンと来るものがあった方とは、どこかで繋がることができれば嬉しいです。気がつけば約5000字も綴っていました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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