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年男(としお)です。

2024年、僕は晴れて、12年ぶりに年男になった。

前回の年男イヤーは、「大人になったね!この1年を素晴らしいものにして、飛躍の1年にしなよ!」というポジティブ100%のものだった。

一方今回は「あれから12年経ちましたよ、いったい何をしてきたんですか?何か成しました?え?どうなんです?」と問い詰めてくる1年になりそうだ。

12年はデカい。

何も頑張った記憶はないけど、この12年で、肩書も立場も見た目も大きく変わった。12年という中途半端な単位で区切る必要はない。ただ「今年の主役」としてスポットライトを浴びる感覚があるので、どうしてもこのタイミングで振り返ることになる。

12年でしっかり老けたし、太ったし、仕事も変わった。
自覚するだけでも結構な変化がある。

ただ今回一番感じたのは、家族における自分の立場の変化だ。

12年前の僕は、おそらく家族内の立場は「希望」だったろうと思う。就職もスムーズに決まり、働き始めて2年目。両親からしたら、子育てのクライマックスとして「これからは自分の羽で飛ぶんだぞ!その羽ばたきを私たちに見せてくれ!」みたいな感じだったろうし、その空気を感じた。

12年が経つ。

今年の僕に対しては、おそらく「不安要素」という立場があてられている。知らないうちに仕事も変わり、いまだに時間を全部自分自身に割いて、ステレオタイプな成長曲線からはどんどん離れ、「アラフォー寸前、仕事はほどほど、趣味人もどき、なんか…周りより少し若いの?」のような人間になっているのだから、自分でもその立場に自覚がある。

どちらかに振り切ったのであれば、別の「希望」になっただろう。ただそこまでの才能も馬力もなく、ただ直近の小さい楽しさを優先した結果、微妙なアンチステレオタイプになったんだと思う。
サブカルチャーに憧れ、たまーにヴィレヴァンに行った結果、持ち物がちょっと変になった人みたいなもんだ。

曲線のずれは、日を追うごとに大きくなる。
きっと来年はもっとずれている。
さすがに僕も焦る部分はある。
ただここからどうすればいいのか…。

と悩むほどでもないのが本当に怖いところ。
サイレントキラーだ。

両親に対する評価も変わった。
評価というとおこがましいが、明らかに変わったと思う。

12年前は、「親すげえわ、何でも知ってるし、僕がこれからやろうとすること既に経験してる!リスペクトしなきゃな」みたいな考えが大半を占めていた。これからが親孝行ターンが始まるんだなぁと思った記憶もある。

ただ12年のうちにそれも変化した。当然、敬意はあるし、感謝もある。こりゃ敵わんわと思う部分もあるけど、「衰え」の要素が強く見えるようになった。「大丈夫かよ…」と思う部分やできない部分が見えると、これまでの敬意をどこに着地させればいいかわからなくなる。

もし全てにおいて衰退し、「OK、僕が面倒をみなければならない」という状態になれば決心がつくだろう。ただ彼らはまだ元気だ。医療や科学の進歩も手伝って、きっとまだまだ弱くならない。時に弱く、時に強くあるから接し方が難しい。

きっと、親も僕をそう思っているんだろうなと思う。

希望と不安が入れ替わり、この息子に期待していいの悪いのか。こいつはどこに向かって日々進んでいるのか。そもそも進んでいるのか。ただ悪いことはしていないようだから、それでもうOKとするか…みたいに思っているんだろうと思う。

先日帰省した際、この話を両親とした。

全く同じことを考えていたし、自分(親)もできないことが増えたと自覚していた。お互い若くないしね。と言えばそれまでだ。ただ、生きてさえいればそれでいい。というのは楽すぎるし、綺麗ごとすぎる。

だから我が家は「今に抗おう」という結論をだした。

抗うのはどの道に進むにしても自力が必要で、結果自分のためになるだろうというのが趣旨だったと記憶している。それは、意思をもって生きろということなんだろうなと、帰りの飛行機で思った。

さて、改めて言うが3度目の年男イヤーだ。

おそらく、進む道を自分で決められる最後のタイミングになる。何でもいいわけではないけど、今に抗って、今より少し突き抜ければ、12年後に「希望」でいられるかもしれない。それはお互いにだ。

「良い一年になりますように。」という言葉は、今年に限っては自分だけのために掛けられる言葉ではなさそうだ。

1月が終わる。そろそろ動こう。右にも左にも。
もちろん上にも。

P.S.
ちょっと前まで、顔のアブラがちょっとギラギラしてた父が、70歳になって乾燥肌になったと言っていた。

オイルを失い、老いるを得るみたいなもんだな。と。
はい、我が家は平和平和。

#エッセイ
#家族

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