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ちょっと昔のお話。
昔の話。
僕が長らく一緒にいた人の家には大きな本棚があった。200冊以上収まりそうなくらいの本棚。
その人のことを、本の虫だと思ったことは一度もなかった。僕より年上だったこともあり、多趣味でいろんな娯楽を教えてくれて、その代わり僕はJリーグを教えた。仕事も順調で、生きている時間は十分に埋まっていると思った。
ただその人は、どこに行こうとカバンには文庫本を入れていた。
「本は現実逃避になるから」と。
仕事が忙しかったりメンドクサイことがあると、僕も現実から逃げたくなる。でも僕らにはJリーグもあるし、ライブもあるじゃないか。なんでまた本に?と思っていた。
楽しさで不安はかき消せると僕は思っていた。
あれからかなりの年月が経ち、
僕は、当時のその人よりちょっと年上になった。
今の僕は、常に本を持ち歩いている。たまに読み切れないほどの本を買ってしまう時もある。
いくら娯楽や趣味があってもそれは生活の一部であって、不安や忙しさと隣合わせのものでしかない。
楽しさでは消せない不安が人生にはあるんだなぁと実感しているところだ。
本の中は、自分と全く縁のない世界だ。
なるほどこんな世界で、あんなことがあるのか。こんな考え方をするのか、とその話を読み進める。
現実問題と思考を並行して本を読むことは難しい。
それに映画と違って、自分で読まない限り話は進まない。読書という行為の能動性は、中身への没入をさらに進める。読み進めるのは、きっと本の中に逃げていくのに似ているのだろう。
「本は現実逃避になる。」という意味が、今なら分かる気がする。そういう通過儀礼の中に今の自分はあるのだと。
彼女は何から逃げたかったのかな。
本はいい。とてもいいシェルターだ。
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