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ゴゴーを待ちながら

サミュエル・ベケットを知ったのは、大学の英語の授業。
『Endgame』がテキストだったのだ。
英文は平易だが、内容はよくわからなかった。
わけがわからないけど、面白かった。
授業には余り出なかったが、テキストは真面目に読んだ。
『All That Fall』も併せて読んだのだが、両者の記憶はごっちゃになっているかも知れない。

『すべて倒れんとするもの』…ベケット作のラジオドラマ『All That Fall』の邦題。
かっこよすぎる。
作品はもちろん読了したのだが、中身よりもとにかく、その邦題に魅せられて、呪文のように繰り返したものだった。

とにかくそんな、よくわからない面白さに惹かれて、さらに『ゴドーを待ちながら』を翻訳と仏語の原作で読んだ。
何かを待っているのだが、何を待っているのかはわからない。
それだけでこんな面白いなんて…衝撃だった。

『ゴドーを待ちながら』について、「ウーン、どうしてわたしは、このヘンテコな古典を何度も読み返してしまうのかな!?」と桜庭一樹さん(朝日新聞『古典百名山』)。
「ベケットは戦時下における個人的経験を、普遍の物語に昇華してくれた。だから、いま読んでも面白く、胸苦しく、わたしもつい、『自分みたいだ!』と喜んでしまうのだ」。
僕も桜庭さんと同様だ。
自分みたいだと喜んでしまった。

ゴゴーを待っている。
ゴゴーとは何か?
僕は知らない。
目の前にいる小さな女性に訊いてみる。

「すみません、ゴゴーってなんですか?」

「知りません。
でも、待っています」

「ゴゴーをですか?
あなたも?」

「えっ、あなたも?
お友達ですね。
親しくはなりたくないけれども、お友達がいて嬉しいです」

小さな女性は、口を大きく横に伸ばして、にっと笑った。

公園の中に水遊び用に設けられた「ちゃぷちゃぷ広場」だった。
まだ夏ではないので、水は無い。
遊ぶ子どももいない。
僕と小さな女性だけだ。

小さな女性は子どもではない。
ただ、体が小さいだけだ。
厚化粧で真っ白なのだが、多分妙齢の女性なのだろう。

「お嬢さん、ゴゴーは来るでしょうか?」

「お嬢さんではありませんけれども、来ると思います。
来なければ、待っている意味がありませんから」

僕はベンチに腰掛ける。
小さな女性は立ったままだ。

しばらくすると、ブッシュの上から、大きな男の首から上が見えた。
ブッシュから出てくると、高島屋の袋に似た花の輪の袋を手にしていた。
小さな女性の前に、大股で歩いて来て、その袋を手渡す。

「お待たせして、申し訳ありませんでした。
やっとゴゴーのご用意ができました」

余計な口出しはしたくなかったのだが、つい僕まで嬉しくなって、ベンチから立ち上がると、思わず口を挟んでしまった。

「お嬢さん、よかったですね。
ついにゴゴーが来たんですね」

「お嬢さんではありませんけれども、やっと手に入れることができました。
欲しくて欲しくてたまらないお洋服だったのに、サイズが無かったんです。
わたし、5号サイズなものですから」

独りぼっちになって、ゴゴーを待っていると、日が落ちそうになる頃、木陰から大きな女性が現れた。

「お待たせしました、ゴゴーです」

僕より背の高い女性が、香水の匂いをぷんぷんさせて屹立していた。
そうか、思い出したぞ。
僕は5号さんを待っていたのだ。
1~4号さんの目を盗んで…

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