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ロマンスサギ

近所の用水路には、よくサギが出没する。
アオサギ、ゴイサギ、チュウサギも、たまに見かけるが、よく見るのはコサギだ。
優雅な白い曲線が、くいっくいっというコマ飛びの動きで、ザリガニを取っていたりする。
見事なその様が、美しくて面白いので、立ち止まって眺めていることもしばしばだ。
見る時は、静かに、できるだけ動かずに、じっと見守らなければならない。
サギは目がよい上に、警戒心も強いので、かなり離れていても、不穏な動きをすると、逃げてしまうのだ。

その日はしかし、狩はしていなかった。
水深十数センチの浅い用水路で、ばたばたと不自然な羽ばたきをしている。

駆けつけて見ると、捨て置かれたたも網に足が絡まって、身動きが取れなくなっているのだった。
見たところ怪我はしていないようだが、骨が折れていないとも限らない。

敵意も危険も無いことを全身で訴えながら、そっとそっと静かに近づく。
観念したのか、それとも僕の気持ちを察したのか、コサギは黙って、僕に身を任せた。
靴を脱ぎ、裸足になり、ズボンをたくし上げて、水に入り、おとなしくなったコサギを救い出すまでの一連の過程は、ドジでのろまでぶきっちょな自分とは思えないくらい、粛々と進捗した。

網から解放されるとコサギは、おもむろに、何事もなかったかのように、飛び立っていった。
よかった…怪我とかは大丈夫だったようだ。

家に帰ると、玄関の前に白いスリムな鳥が立っていた。
コサギだ。
用水路で助けたコサギかどうかはわからない。
あちらもこちらも顕著な特徴は無く、ただ美しいばかりだった。

近付けば逃げるかなと思ったが、逃げなかった。
それどころか、席を譲るかのように、ドアの脇に退く。

キーを挿し込んで、ドアを開ける。
当然のことのように、極めて自然に、コサギは僕を躱して、先に家に入る。

羽や糞や土や菌やその他諸々で、部屋が汚れる可能性もあったが、僕はそれほどの潔癖症ではない。
コサギのしたいようにさせておいた。
したいようにさせておいたといっても、コサギはとりわけ、したいことがあるようには見えない。
優雅にのっしのっしと歩き回っては立ち止まり、何か思案していたり、首をゆっくりと上げ下げしたりで、激しい動きは何もないし、声を出すこともなかった。

夕飯は簡単に蕎麦で済ませることにしたが、コサギのことがやはり気になった。
蕎麦は好みに合わないだろう。
一応訊いてみたが、あまり乗り気ではないようだった。

たまたま冷凍のイカのあることを思い出し、これならお召し上がりになりそうな気がした。
解凍して細かく切って皿に盛って床におくと、しずしずと寄ってきて、少しばかりつまんでくれた。

夜が更ける。
初めてうち来たのに、泊まってもらってもよいものだろうか。
コサギはしかし、鳥目のはずだから、闇の中に放り出すわけにはいかないだろう。
夜が明けるまでは、ここで過ごしてもらうことにしよう。

「じゃあ僕は寝室で寝るから、どこでも好きな所で好きなようにしてください」

通じるかどうかわからないのだが一応、声に出して言ってみた。
なんとなく通じたような感触があった。

夜中に物音で目が覚める。
仕事に使っている4畳半からだ。
滅多に閉めることのないドアが、なぜか閉まっていた。
コサギがこっそり、中で何かやっているのかもしれない。

見られたくないようだから、見ないことにしたかったのだが、好奇心がふつふつと沸き起こってくる。
アドレナリンのせいか、鼓動が高まり、脂汗が出てくる。
我慢できなくなって、そっとドアを開ける。

豆電球の薄明りの中で、コサギが小刻みに動いている。
嘴で自らの羽を毟って、何か作っているように見えた。
敏感なコサギのことだ、気が付かれそうな気配だったので、すぐにドアを閉める。

夜が明けるともう、コサギはどこにもいなかった。
夢を見ていたのだろうか。
いや、夢ではない。
仕事部屋には、買った覚えのない羽毛布団が無造作に落ちていた。
コサギの置き土産に違いない。

この羽毛布団は素晴らしく心地よかった。
冬は暖かく夏は涼しく、ほとんど一年中重宝している。
ただ残念なのは、サイズがちょっと足りないことだ。
未完成だったのかもしれない。

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